デイリーディボーション 9月5日(木)

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デイリーディボーション 9月5日(木)

2019年9月5日(木)
マルコの福音書 15:35-36 35 そばに立っていた幾人かが、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」と言った。36 すると、ひとりが走って行って、海綿に酸いぶどう酒を含ませ、それを葦の棒につけて、イエスに飲ませようとしながら言った。「エリヤがやって来て、彼を降ろすかどうか、私たちは見ることにしよう。」
【ポイント】 ①現実のメシアを受け入れられない悲しさ 昨日の34節をもう一度見てみましょう。「34そして、三時に、イエスは大声で、『エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ』と叫ばれた。それは訳すと『わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか』という意味である。」十字架の近くにいた人は、「エロい、エロイ」ということばを聞いて、イエス様がエリヤを呼んでいるのではないかと考えたわけです。
旧約聖書の一番最後の2節を見てみましょう。マラキ書の4章5,6節です。「5見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。6彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」この個所から、多くのユダヤ人はメシアはエリヤ(エリヤの様な者)であると信じていたのです。
しかし、イエス様はマタイの福音書17章12節で「しかし、わたしは言います。エリヤはもうすでに来たのです。ところが彼らはエリヤを認めようとせず、彼に対して好き勝手なことをしたのです。人の子もまた、彼らから同じように苦しめられようとしています。」と、バプテスマのヨハネがマラキ書の預言の成就であると教えられたのです。
いずれにせよ、当時のユダヤ人は、バプテスマのヨハネの働き、イエス様の教えと様々なしるしを目にしても、すでにマラキ書の預言が現実に起きていることを受け入れられなかったのです。そして、多くのユダヤ人は現代に至るまで「メシアはまだ来ていない」と考えているのです。残念ですね。
もしユダヤ人が注意深く旧約聖書を読み、食わず嫌いせず新約聖書にも目を通せば、誰よりもユダヤ人がイエスがメシアであることに気づくのではないでしょうか(もちろん、そのユダヤ人がメシア(キリスト)を愛し、従うかどうかはまた別の話なのですが)。
ライフチャーチ 大谷信道


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