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2023年9月5日(火)
【今日のみことば】 コリント人への手紙第一 1:13-17 13キリストが分割されたのですか。あなたがたのために十字架につけられたのはパウロでしょうか。あなたがたがバプテスマを受けたのはパウロの名によるのでしょうか。14私は、クリスポとガイオのほか、あなたがたのだれにもバプテスマを授けたことがないことを感謝しています。15それは、あなたがたが私の名によってバプテスマを受けたと言われないようにするためでした。16私はステパナの家族にもバプテスマを授けましたが、そのほかはだれにも授けた覚えはありません。17キリストが私をお遣わしになったのは、バプテスマを授けさせるためではなく、福音を宣べ伝えさせるためです。それも、キリストの十字架がむなしくならないために、ことばの知恵によってはならないのです。
①教会における分裂や分派の本当の理由を知る その2 先日、コリントの教会の分裂や分派の原因は、いわゆる「牧師崇拝」と似た現象であることを確認しました。牧師崇拝とまではいかなくても、分裂や分派はそれぞれのグループにリーダが存在し、各リーダーを中心に考え方が違うグループが形成されているケースもあることでしょう。いずれにしても、イエス・キリストではない、別の誰かと強く結びつくことによって、分裂は分派が起こってしまうわけです。
コリントの教会における、典型的な症状は「私はパウロの名によってバプテスマを受けた」とか「私は使徒ペテロにバプテスマを授けていただいた」というような会話が交わされたり、より尊敬や注目を集めている人からバプテスマを受けたことに優越感を覚えたり、自慢したりする人がいたのでしょう。
同じような現象は、現代の教会でも見ることができますね。「私は、あの(有名な)〇〇牧師から(教会で)洗礼を受けた」とか、「私は、あの〇〇牧師に手をおいて祈っていただいた」のような言葉を聞くことがあります。以前にも触れたことがある例なのですが、オバマ前大統領の就任式で祈祷を行った、サドルバック教会のリック・ウォレン牧師は、著書の中で「先生、私のために祈ってください」と言われる時に喜んで祈るが、同時に「あなたの教会の兄弟姉妹にも祈ってもらいなさい」と答えると語っていると読んだことがあります。つまり、ウォレン牧師は自分が祈っても、一般信徒が祈ってもその効果に何の違いもないと説明しているわけです。その理由は、私たちは「イエス・キリストの御名によって」祈るからです。しかし、残念なことにこの真理を理解できていないクリスチャンが少なくないのです。
コリントの教会の中で起きていた分裂・分派と似たような現象は、その後のどの時代、どの国のクリスチャンにも起きていたと想像できます。同じ間違いを犯さないために、私たちにとって大切なことは、誰でもが同じような肉的な感覚を持っていることを認めることです。つまり、自分にとっての「カリスマティックな」「霊的な」「賜物に優れた」「ヒーロー(ヒロイン)的な」牧師、指導者を欲してしまうような思いが自分の中にもあることを認めることです。もちろん、その強さは個人によって違うのですが、このような感覚が自分や兄弟姉妹の中にある事実を知ることによって、教会の牧師・指導者と健全な関係を築き、イエス・キリストと直接つながることの大切さを理解できるようになるのです。
ライフチャーチ 大谷 信道