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2023年9月8日(金)
【今日のみことば】 コリント人への手紙第一 1:20-21 20知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。21事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。
①イエス様の福音で、日々心が満たされる練習をする。 もう一度18節のことばを思い出してみましょう「18十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」繰り返し学んでいますが、「救い」とは、天国行きの切符や罪の赦しの証明書’(免罪符)をもらうことではありません。救いの真の喜びは、天国という場所に行けることでも、無罪判決を受けることから来るものではなく、神様との愛の関係の中に導き入れられることなのです。皆さんは、イエス・キリストの福音によってもたらされる神様との愛の交わりによってもたらされる力を実感しているでしょうか?
ギリシャの哲学者をはじめとして、現代に至るまで、この世には数えきれないほどの哲学者、思想家、宗教家たちが、人間の幸せ、心の平安などについて知恵ある言葉で教えてきました。しかし、パウロはイエス様の福音、つまり神様の愛に触れたことによって、人間の知恵によってに、神様に造られた人間に真の幸せや平安を与える力が無いことを確信したのでしょう。
神様の愛と恵みは、この世の知恵ある者にとっては愚かな話に聞こえることでしょう。さらに、もし私たちが救いの方法(天国に行く方法や手実が赦される方法)として、イエス様の十字架の話をしたとしたら、さらに、この世の多くの人は、ばかばかしい話だと思ってしまうことでしょう。
しかし、この世の知恵ある者たちの言葉が、人間に真の幸せは平和を与えることができるのかを、まず私たちクリスチャンがしっかりと考えてみましょう。そして、クリスチャンである私たちが、イエス様の十字架によって明らかにされた神様の愛によって満たされ、幸福と平安を覚えながら、地上での日々を過ごしていこうではありませんか。
神様の愛を味わうときに、私たちが語る福音が「力」あるメッセージへと変えられるのです。
ライフチャーチ 大谷 信道