デイリーディボーション 9月9日(土)

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デイリーディボーション 9月9日(土)

2017年9月9日(土)

【通読】
マタイの福音書 18:6-9
6しかし、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、大きい石臼を首にかけられて、湖の深みでおぼれ死んだほうがましです。7つまずきを与えるこの世はわざわいだ。つまずきが起こるのは避けられないが、つまずきをもたらす者はわざわいだ。8もし、あなたの手か足の一つがあなたをつまずかせるなら、それを切って捨てなさい。片手片足でいのちに入るほうが、両手両足そろっていて永遠の火に投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。9また、もし、あなたの一方の目が、あなたをつまずかせるなら、それをえぐり出して捨てなさい。片目でいのちに入るほうが、両目そろっていて燃えるゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。

【ポイント】
①イエス様の人間性の豊かさを知る
人間のかたちを取ってこの世に使わされた神の御子は豊かな人間性を有する方でした。知能指数は高いが、感受性、感情表現の乏しい教師、学者のようでもなく、不謹慎なことばを一切口にしない宗教家のようでもなく、何か偉い者かのように振る舞う政治家のようでもなく、当時の典型的なリーダー像とは全く違う人間性を持った方であることが分かります。

私たちも、自分の中で作り上げた真面目な指導者のイメージからイエス様を理解していると、今日の箇所を読む時に戸惑いを覚えてしまうでしょう。なぜなら6節の「大きい石臼を首にかけられて、湖の深みでおぼれ死んだほうがまし」ということばは、「お前なんか死んじまえ!」と言っているのと同じです。8,9節の「もし、あなたの手か足の一つがあなたをつまずかせるなら、それを切って捨てなさい」「もし、あなたの一方の目が、あなたをつまずかせるなら、それをえぐり出して捨てなさい」ということばも、暴言以外の何ものでもありません。「なぜ、イエス様はこんな乱暴でひどい事をいうのだろうか?」と、それこそ「つまづき」を覚えてしまうことでしょう。

また、イエス様が文字通りのことを命令しているのであれば、私たちは多くの人に石臼をくくりつけ湖に放り込まなければならないでしょうし、ほとんどのクリスチャンは、自分の手、足を切り落としたり、目をえぐり出したりしなければならないでしょう。

もちろん、イエス様は他者に対しても、自分に対しても「つまずき」を与えるようなことをしてはならないと厳しく戒められているのであり、その問題はここに表現されているほど深刻なものであると考えられていることには間違いありません。しかし、イエス様はただ真面目に「つまづきを与えてはいけません。」と話すだけではその深刻さが人々に伝わらないことをよくご存知であったので、あえて人々が「暴言」「不謹慎」と驚いたり、戸惑ったりするような表現を用いられたのです。

ここに、イエス様の人間性の豊かさ(ユーモア、自由さ)を見ることができるのです。そして、私たちが豊かな人間性と感じるイエス様の姿は、天の父の姿、性質そのものでもあるのです。

あなたは、日々、感情も、その表情も豊かで、ユーモアのセンスも抜群で、私たちを暖かく迎え、私たちの弱さ、葛藤を理解し、忍耐強く導こうとされている方、あなたに微笑みかけてくださっている方に向かって話しかけたり、ことばを聞いたりしているでしょうか。

ライフチャーチ
大谷信道


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