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2021年9月9日(木)
マタイの福音書 9:18-19 18イエスがこれらのことを話しておられると、見よ、ひとりの会堂管理者が来て、ひれ伏して言った。「私の娘がいま死にました。でも、おいでくださって、娘の上に御手を置いてやってください。そうすれば娘は生き返ります。」19イエスが立って彼について行かれると、弟子たちもついて行った。
【ポイント】 ①「イエス様の目的」を見失わない 次は、死んだ人の癒しの依頼です。私たち人間にとって最も大きな願いは、病の癒しなど、自分の力ではどうにもならないことが実現することです。愛する者の肉体のいのちや、健康を取り戻すことができれば、どのような犠牲もいとわないと考えるのが当然です。そして、不思議なことに、そのような状況に遭遇する時に、自然と神様の助けを求めるのです。
人々は純粋に神様の助けを求めていますから、死んだ人の生き返りや病の癒しは、イエス様がご自身が神の御子であり、神であることを人々に表す非常に良い機会であったわけです。もちろん、そこには悲しんでいる者、苦しんでいる者に平安を与えたいという、イエス様の愛、恵、あわれみがあったことは言うまでもありません。しかし、イエス様は、死んだ人、病に苦しむ人すべてをいやされたわけではありません。生き返った人、癒された人も、いずれは必ず死ぬことなります。冷淡に聞こえるかもしれませんが、「永遠」という時間の長さから考えれば、寿命が少し延びたにすぎません。ですから、イエス様の真の目的は、人々が「永遠のいのち」を得ることは決して忘れてはなりません。しかし、肉体のいのちをよみがえらせることができない人が、永遠のいのちを与えることなどできるはずがないわけなので、イエス様は、すべての人がイエス様が永遠のいのちを与えることができる方であることを証明するために、限られた人々ではありましたが、人を生き返らせたり、病をいやされたりしたのです。
それでは、私たちの病の癒しはどうでしょうか? この点については、明日以降考えていきましょう!
ライフチャーチ 大谷信道