デイリーディボーション 10月15日(月)

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デイリーディボーション 10月15日(月)

1イエスはオリーブ山に行かれた。2そして、朝早く、イエスはもう一度宮に入られた。民衆はみな、みもとに寄って来た。イエスはすわって、彼らに教え始められた。3すると、律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕らえられたひとりの女を連れて来て、真ん中に置いてから4イエスに言った。「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。5モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」6彼らはイエスをためしてこう言ったのである。それは、イエスを告発する理由を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。7けれども、彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」8そしてイエスは、もう一度身をかがめて、地面に書かれた。9彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。10イエスは身を起こして、その女に言われた。「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか。」
11彼女は言った。「{主よ。}だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」

【ポイント】
聖書が一切の誤りの無い神のことばであるということは、ライフチャーチの信仰声明でもあります。実は、厳密には、聖書は「原著おいて」つまり、それぞれの著者が最初に書いたものは誤りの無い神のことばであるというのが一般的な理解なのです。しかし、実際にはその「原著」は現存していません。ですから、その後手で書き写された「写本」を比較検討し原著がどの部分であったのかという研究が長きにわたって続けられています。

実は、写本の比較検討の結果として、大多数の研究者は7章の53節から8章の11節は後から書き加えられたものであると結論付けています。実際、新改訳聖書も新共同訳聖書もこの箇所にカッコをつけてあるのですが、それは後世の加筆である可能性があることを表しています。そのようなものであるのに削除されていない理由は、①かなり古い時代の信頼性の高い写本にもこの箇所が記載されているため、歴史的な資料として価値があると考えられるため、②キリストに関する④福音書以外の信頼出来る情報源からの引用である可能性があること、③内容が、他の福音書と矛盾がないこと、などを挙げられているようです。とても、印象的、感動的な場面なのでちょっと惜しい気がしますね。

この「姦淫の女」のエピソードが、いくら私たちの感情にうったえる内容であっても原著には含まれていない可能性が否定出来ない箇所については、慎重かつ冷静に取り扱う必要があります。そのような理由で、本日は細かい解説をしません。そして、この箇所に含まれている「悔い改め」「赦し」の教えは、聖書の他の箇所から十分に知ることができます。

【祈り】
「神様、あなたの罪人に対する愛に感謝します。私たち異邦人はユダヤ人から見たら滅ぶだけの存在、『地獄の炎を絶やさないための薪』でした。しかし、あなたはそのような視点で私たちを見ることはありませんでした。全人類の救いのために御子を与えてくださいましたから感謝します。今日も、その愛の大きさをさらに知るものとしてください。イエス様のお名前で祈ります。」

ライフチャーチ牧師 大谷 信道


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