デイリーディボーション 5月22日(水)

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デイリーディボーション 5月22日(水)

2013年5月22日(水)

ヘブル人への手紙 9:27-28
27そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、28キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。

【ポイント】
①「最後の審判」を持ち望んでいるか?
キリストのとの健全な関係を持ち、キリストのに常に心を開き、正直に対話している人は、「最後の審判」を心の待ちにしているはずです。反対に自分の罪深さを完全に認めなかったり、隠そうとしたりする人は裁きの座でキリストの前に立たせられることに屈辱や苦痛を覚えることでしょう。そのようなクリスチャンの問題は、クリスチャンになった後に犯してしまった罪自体ではありません。なぜなら、罪を犯さずに生きていくことは不可能だからです。そのために、イエス様は十字架にかかってくださったのです。問題は、自分の罪を隠そうとする事、キリストの前に何かを隠せると思っていることです。パリサイ人の問題はここにありました。表面上の行いによって、内面の罪深さを隠そうとしたのです。

しかし、健全な信仰の歩みをするクリスチャンは、キリストの前に自分の不完全さを認め、犯してしまった罪を隠さず、罪深さを示された時に、その罪のために十字架にかかってくださったキリストに感謝を覚えることができるができます。そして、最後の審判に対して恐れではなく、希望を覚えます。なぜなら、キリストを信じる信仰によって罪が贖われ、完全な救いが与えられていることをおり、さらに、クリスチャンになった後に犯してしまった罪については、事前にキリストに打ち明けているからです。

罪の贖い、赦しの確信を持っている者は、天上での報酬を期待することができます。つまり、キリストと健全な関わりを続けてきた者にとって、最後の審判は恐ろしい場所ではなく、天に積んできた宝について聞かされる、究極の喜びと慰めの場になるのです。

②キリストの再臨を待ち望んでいるか?
このテーマについては、これまで何度も触れて来ました。キリストとの健全な関係の中に生きているクリスチャンは再臨を待ち望みます。成熟したクリスチャンは再臨の約束に変わることがない希望を持ち続けることができます。キリストの再臨よりも、「進学」「就職」「出世」「結婚」「出産」「子育て」などを楽しみにしている人はいないでしょうか。あなたは、「キリストが明日再臨されるそうだ!」と聞いた時に、飛び上がって喜ぶでしょうか。それとも、残念な気持ちになるでしょうか。あなたが後者であれば、自分は天国の価値、キリストの十字架の価値を理解していないことに気が付く必要があります。

それでは、「最後の審判」と「キリストの再臨」に希望を持っていない人は、どうしたら良いのでしょうか。問題の解決は極めてシンプルです。キリストのことばを素直に信じればよいだけなのです。キリストに100%の信頼を置くことができる根拠は、そのことばの内容だけでなく、キリストの生き様だけでなく、キリストが復活された事実に基づきます。

【祈り】
《ローマ10章》
11聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」

アーメン

ライフチャーチ牧師 大谷信道


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