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2013年7月3日(水)
ヘブル人への手紙 12:9-11
9さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。10なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。11すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。
【ポイント】
①神様と「父子」の関係を築く
あなたは、神様が天の父としてあなたを愛し、訓練し、懲らしめることを神様に許していますか。神様は天の父として信じる者すべてを育てる完全な準備ができています。ですから、あとは私たちが天の父に心を開き、素直に導きに従っていく姿勢が求められているだけです。天の父の子育ての方法は、肉の父と違い、愛、恵み、憐れみ、赦しに満ちています。暴力で服従を強要することはありません。私たちが自らの意思で父の元に立ち返り、自らの意思で父の愛と懲らしめを受けることを選ぶのです。この関係は自然に築かれることはありません(そもそも、自然に築かれる人間関係などありません)。互いに心を開き、相手が自分の人生に関わることを許すことを自発的に選び取ることによって関係を築いていくのです。
②訓練と懲らしめによって結ぶ「平安な義の実」に目を向ける
幼稚な子どもは、将来の成長した姿を見ることができません。立派な大人になりたいと思っても、そのプロセスを嫌がることもあるでしょう。私たちクリスチャンはそうであってはいけません。イエス・キリストというゴールを知っており、自分の十字架を日々負っていくというプロセスも知っているからです。しかし、頭で知っているだけでは十分とは言えません。なぜなら、例えば「思い煩い」から一度も解放されたことがない人は、思い煩いから解放された人生の素晴らしさを想像することもできないのです。また、そのような事が本当に起きることを信じることができないこともあるでしょう。ですから、「平安の義の実」を結ぶとはどのようなことなのか、信仰に生きた人々の証し、実際に祝福を受けた姿を見続けることが大切なのです。
③キリスト信じるとは、キリストの従順に生きること
そして、天の父の訓練を通し、「平安の義の実」が与えられる事、その具体的なビジョンを捉えることができた人は、「そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われる」訓練に身を委ねていきたいと思うようになるのです。つまり、神様と本当の「父子」の関係に身を委ねていくようになるということです。この父の子に対する愛の姿、子の父に対する従順さの模範は、言うまでもなく「天の父と御子イエス・キリスト」に見ることができるのです。イエス・キリストを信じるとは、イエス様の模範に従うことを決めることでもあることを覚えておきましょう。
「とりあえず信じるので、永遠のいのちと天国行きの切符を下さい。あなたの弟子となれるかはわかりませんが、頑張ります。」という姿勢は、聖書の教える「信仰」とは全く違います。とても狡い方法です。自分の欲しいものだけ手に入れておいて、それ以外のことをいい加減することは、自己中心の罪以外何ものでもないからです。神様は、そのようないい加減の者に永遠のいのちを与えるでしょうか。「キリストを信じる」とは、ヘブル書の著者が描写しているような「父子」の愛の関係に生きる約束をすることでもあるのです。
【祈り】
《マタイ7章》
21わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者が入るのです。
アーメン
ライフチャーチ牧師 大谷 信道