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2013年5月9日(木)
ヘブル人への手紙 8:1-5
1以上述べたことの要点はこうです。すなわち、私たちの大祭司は天におられる大能者の御座の右に着座された方であり、
2人間が設けたのではなくて、主が設けられた真実の幕屋である聖所で仕えておられる方です。3すべて、大祭司は、ささげ物といけにえとをささげるために立てられます。したがって、この大祭司も何かささげる物を持っていなければなりません。4もしキリストが地上におられるのであったら、決して祭司とはなられないでしょう。律法に従ってささげ物をする人たちがいるからです。
5その人たちは、天にあるものの写しと影とに仕えているのであって、それらはモーセが幕屋を建てようとしたとき、神から御告げを受けたとおりのものです。神はこう言われたのです。「よく注意しなさい。山であなたに示された型に従って、すべてのものを作りなさい。」
【ポイント】
①キリストは永遠に「王」であり、「大祭司」である。
ヘブル書の著者もこれまでの説明が複雑になってしまったと感じたのかもしれません。ここで読者のために要約をしてくれています。それは、キリストが永遠の大祭司であり、同時に御座に着座されている「王」であるということです。そして、大祭司であり、サレムの王であったメルキゼデクがその予型であったということですね。
②律法は「写し」「影」であった
「写し」「影」は決して悪いものではありません。例えば絵画の「写し」は贋作と呼ばれますが、それは真作を知る大きな助けとなります。「影」も本人の姿、動きを忠実に映しているものであり、本人を知るお大きな手がかりになります。しかし、「写し」や「影」を本物することは許されません。贋作を真作とすれば、犯罪となります。ですから、「幕屋」も「律法」も本物ではなく、来るべき本物の「写し」、「影」としてとらえ、本物の到来を期待しているべきだったということです。そして、それらは真理を知るために大変役に立つ良いものであったはずなのです。
ということは、やはり旧約の律法は、イエス・キリストを知るための大きな助けになるわけです。贋作を真剣に鑑賞した人ほど、真作の価値をより深く理解できるように、旧約聖書を深く知るほど、キリストについて深く知ることが出来るはずなのです。そして、キリストこそが旧約の約束の成就であることを確信できるのです。
③神様は決して変わることがなく、必ず計画を成し遂げる方
神様の一貫性とくらべると、人間の心はいかに変わりやすく、いい加減なんでしょうか。いかに容易に恵み、約束、目的を忘れ、自分なりの生き方に戻ってしまうのでしょうか。反対に言えば、私たちはそのように変わりやすい者であるから、変わることが無い神様が必要なのです。教会の姿、礼拝のスタイルは時代と共に変わるかもしれません。しかし、キリストが頭であれば、教会の本質は変わることが無いのです。「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。」(ヘブル13:8)
【祈り】
《エペソ4章》
14それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく、
15むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。
アーメン
ライフチャーチ牧師 大谷 信道