デイリーディボーション 6月10日(月)

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デイリーディボーション 6月10日(月)

2013年6月10日(月)

ヘブル人への手紙 11:4-6
4信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。
5信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。6信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。

【ポイント】
①信仰によって生きるとは、神様の愛に動かされ生きること
カインとアベルの兄弟の話は、ポイントを正しくとらえる必要があります。神様は穀物の捧げ物よりも、動物の捧げ物を好んだと勘違している人もいるかもしれません。しかし、そうではありません。アベルは神様を愛し、神様はその愛によって捧げられたものを喜ばれたのです。事実、創世記4章で神様はカインにこのように語りかけました。「6なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。7あなたが正しく行なったのであれば、受け入れられる。」
「正しく行う」とは、「愛によって行う」ということです。神様は、行動そのものだけでなく、わたしたちの動機をご覧になっているということです。ですから、私たちがいかに敬々しく礼拝を行ったとしても、神様は礼拝の形式ではなく、私たちの心をご覧になり、愛をもって礼拝している者を喜ばれるのです。

②信仰によって生きるとは、神様とともに歩むこと
創世記5章24節にはこのようにあります。「エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。」私たちが目を留めるべきポイントは、エノクの最期の不思議な出来事ではありません。そのような最期になった理由、つまり、彼が信仰によって神様とともに歩み続けたという点が重要なのです。その例が適切かどうかはわかりませんが、私は犬の散歩を思い出します。飼い主に従順な犬は主人の横、または少し後ろ歩き、常に主人の行きたい方向へついていきます。一方、正しい主従関係を築くことが出来ていない犬は、主人の前を歩き、主人を引っ張り自分の行きたい所に連れて行きます。犬は散歩に行きたいですから、仕方なくリードにつながれ、主人といっしょにいるだけなのです。このような犬と主人の関係は「主人と共に歩む」とは表現されません。同じように、私たちが「神様とともに歩む」とは、神様を主を認め、自分の前を歩いていただき、従順に従うことであることを忘れてはいけません。

自分の生活のパターン、スタイルを見つめれば、自分が何によって動かされているのかが分かるはずです。「神様の愛に動かされているのか?」「神様とともに歩んでいるのか?」自分自身に問いかけてみましょう。自分の神様との歩みが間違っていることに気が付いたら、その度に神様との関係を少しずつ修正していくことができるからです。信仰の歩みが変えられているのには時間がかかるものです。ですから、正しい方向に歩んでいる限り、成長の遅さに落胆する必要はありません。しかし、自分の信仰の歩みが間違っていることを知りながら、自分主導のライフスタイルを放置したままではいけません。この歩みに「罪責感」「神様に対する後ろめたさ」が伴いますので、毎日曇り空の中を歩んでいるような感覚がつきまとうでしょう。

キリストのリーダーシップに身を委ねた瞬間から、様々な課題や葛藤に囲まれながらも、晴れ晴れとした気持ちの中に歩んでいくことが出来るようになるのです。これが信仰に生きる喜びなのです。この歩み方を選びとって行きましょう!

【祈り】
《箴言3章》
6あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

アーメン

ライフチャーチ牧師 大谷 信道


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