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2013年6月26日(水)
ヘブル人への手紙 11:39-40
39この人々はみな、その信仰によってあかしされましたが、約束されたものは得ませんでした。40神は私たちのために、さらにすぐれたものをあらかじめ用意しておられたので、彼らが私たちと別に全うされるということはなかったのです。
【ポイント】
①「信仰」とは自分の望んだ物が手に入ることではない
同じようなメッセージの繰り返しですが、クリスチャンが決して見落としてはならない重要なポイントです。アブラハムは自分が神様に与えられた名前の通り「多くの父」になることも、自分を通してすべての国民が祝福される様子も自分の目で見ることはありませんでした。モーセも自分自身は約束の地に入ることは出来ませんでした。しかし、彼らは最後まで神様の全人類の祝福の約束を信じ、神様を信頼して歩み続けました。これは彼らの「あかし」です。
私たちがキリストへの信仰によって与えられている約束についても同じ事が言えます。永遠のいのち、天国、完全な聖化のどれもこの地上で見える形で手に入ることはありません。また、これまで、どのクリスチャンもイエス様が再び来られる姿を見ることなく地上でのいのちを終えていきました。再臨を待ち望みながら、それを見ないで死んでいったのです。ですから、私たちに求められている信仰の姿は、地上で目で見える形で実現する約束だけでなく、必ずキリストと共に永遠を過ごすことになること、その時に完全な慰め、平安が与えられることを忍耐強く待ち望むことです。
②神様の具体的な計画をすべて知る必要はない
旧約の人々は「さらにすぐれたもの」が用意されていること、つまり神の独り子がナザレ人イエスとして地上に遣わされ、すべての人の罪の贖いのために十字架にかかられるという具体的な計画については誰も知りませんでした。しかし、全人類の祝福の約束を信じ続けたのです。
神様は私たちが知るべきことは、聖書を通してすべて啓示されました。「神様の御心がわからない!」ということばを使ってしまうことがありますが、多くの場合は神様の計画に疑問や不安を感じている時にそのことばを口にしていることが多いのではないでしょうか。神様の御心はシンプルです。すべての人が神の愛を知り、神を愛するものとなり、同じ愛をもって互いに愛し合うようになることです。何をするにも、神を愛すること、隣人を愛することにつながる方を選んでいけばよいのです。
とは言え、確かに大切な決断を下さなければならない時に、神様が何を選択するのかをはっきり示して欲しいと思う気持ちが湧いてくることは自然なことです。しかし、大切なことは私たちが「正解」を選ぶことでなく、神様に忠実であり続けることです。もちろん、明らかに罪を犯すこと、自分の欲望を満たすための選択をすることはいけないことです。しかし、神様に忠実でありたいと思い続けるのであれば、何を選んだとしても、その道を祝福し、必要に応じて軌道修正をして下さるのです。
今週、マーク開拓牧師が日野教会で説教をした箴言から聞いてみましょう。
【祈り】
《箴言3章》
5心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。
6あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
アーメン
大谷 信道