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2013年7月9日(火)
ヘブル人への手紙 12:22-24
22 しかし、あなたがたは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会に近づいているのです。23
また、天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者である神、全うされた義人たちの霊、24
さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る注ぎかけの血に近づいています。
【ポイント】
①肉眼では見ることができない祝福を見る
ヘブル書の著者はイエス・キリストによって与えられている祝福の素晴らしさ、特に肉体の目で見えない祝福について説明しています。それは、昨日の箇所との対比でさらに鮮明になるはずです。時が満ちて、かつて誰もはっきりと見ることができなかった神様の計画、祝福のビジョンがイエス・キリストによって完全に明らかにされたのです。この祝福のビジョンはそれ以前の出来事と無関係ではなく、過去(旧約聖書)の出来事を影として、その影が本体の手がかり、証となったのです。しばし、その素晴らしさに思いを巡らしてみましょう。
②祝福の大きさを見誤ってはいないか?
エサウは、長子の特権の意味を理解せず、一回の食事と引き換えに弟ヤコブに譲ってしまいました。私たちもこれと同じ過ちを犯してはなりません。天上の祝福の大きさを知り、満足している者は地上での困難を希望と忍耐をもって過ごすことができます。エサウのように「今」の不満(空腹)に我慢できない者は、一時的な欲望の満たしのために大きな間違いを犯してしまう可能性があるのです。神様はあなたの不満をご存知です。しかし、私たちは正確に表現できないほど素晴らしい祝福の約束が与えれている事に常に目を向け続けていることが大切なのです。キリストを信じる信仰によって天上の祝福を受けておきながら、まだ何か足りないかのように人生を歩むことは、キリストの十字架を空しくしてしまうからです。
【祈り】
《2コリント4,5章》
16ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
17今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。
18私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
1私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。
2私たちはこの幕屋にあってうめき、この天から与えられる住まいを着たいと望んでいます。
アーメン
ライフチャーチ牧師 大谷 信道