デイリーディボーション 5月8日(水) 

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 5月8日(水) 

2013年5月8日(水)

ヘブル人への手紙 7:25-28
25 したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。26また、このようにきよく、悪も汚れもなく、罪人から離れ、また、天よりも高くされた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。27ほかの大祭司たちとは違い、キリストには、まず自分の罪のために、その次に、民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。28律法は弱さを持つ人間を大祭司に立てますが、律法のあとから来た誓いのみことばは、永遠に全うされた御子を立てるのです。

【ポイント】
①私たちは大祭司イエス・キリストを必要としている
ヘブル書の著者が新約聖書の他には見られない「大祭司イエス・キリスト」について大変多くのスペースを割いている理由は何でしょうか。それは、著者はかつてイスラエルの民が神様を礼拝し、捧げ物を行うために大祭司が必要だったように、私たちも大祭司を必要としているという真理を説明したいのです。以前にも学びましたが、大祭司の最も重要な役割は「人々ためにとりなしをすること」です。つまり、私たちも神様との関係を回復するためには、自分勝手な方法ではなく、神様がイスラエルの民に教えられたように「とりなし手」が必要なのです。

②イエス様は永遠の大祭司になるための試験に合格された
神であるキリストが試験を合格されたという言い方は奇異に感じるかもしれません。しかし、考え方の順番を間違えてはいけません。ナザレのイエスは「きよく、悪も汚れもなく、罪人から離れ、また、天よりも高くされた」からこそ、私たちは「救い主」であり「大祭司」であることを証明され、私たちはそのように結論付ける事ができたのです。

③「信仰」には「理性」の「感情」の両方が必要
ヘブル書の著者がしていることは、私たちがナザレのイエスが神であることを論理的に説明し、さらにイエス様が「私たちの弱さに同情できない方ではありません。」と、私たちの感情(情緒面)の支えになる方であることを説明しています。私たちの信仰の成長においては「理性」と「感情」のバランスが大切だということがわかります。しかし、「理性」と「感情」は並列するものではありません。なぜなら、「理性」「知識」は信仰の基礎、土台であるからです。つまり、キリストが永遠の大祭司であることを理性的な理解を土台にしているからこそ、キリストに心を開き、委ねることができるからです。

ですから、基礎だけ作って作業を終えてしまうのでは意味がないですし、基礎が無いところでキリストのとの関係を築こうとしても、その関係は大変不安定なものになってしまうのです。続けて、キリストのことを深く知り、より深い関係を築く歩みを続けましょう。

【祈り】
13ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。
14それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく、

アーメン

ライフチャーチ牧師 大谷 信道


side_worship side_info