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2013年6月14日(金)
ヘブル人への手紙 11:13
13これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。
【ポイント】
①あなたの夢は何ですか?
アブラハム達は個人的な夢の実現を期待し喜んだのではありません。そうではなく、神様の計画の実現を夢見て、それが必ず実現するという確信を得て、実際に事が起きる前に喜んだのです。ここで、私たちに対する大切な問いかけがあります。「あなたの夢は何ですか?」アブラハム達と夢を共有しているでしょうか。それとも、自分の個人的な事柄で頭がいっぱいでしょうか。
②「あなたの夢」=「あなたの信仰」
ヘブル書の著者は11章1節で「信仰」についてこのように教えました。「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」「望んでいる事がら」とは「自己実現」ではなく「神の計画の実現」であることを確認しました。今日の箇所から、アブラハムの本当の夢、ほんとに望んでいる事がらが、個人的な夢の実現ではなく、神様の夢の実現であったことが再確認できるのです。ヘブル書の著者はこれを「信仰」と呼びました。この事を自分に当てはめて考えてみましょう。あなたの一番の「夢」はなんですか。
つまり、キリストを信じるとは、自分の夢を捨て、神様の夢のために生きていくことでもあります。だからといって会社を辞める必要も、勉強や努力を止める必要はありません。神様の夢を一番にすることが重要なのです。しかし、自分の夢を捨てるぐらいの覚悟で望まない限り、自分の夢が自己実現から神様の御心実現に置き換えられることはないのです。だからイエス様は、このように人を招かれたのです。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
」(マタイ16:24)
イエス様はこの点について「主の祈り」を通してもはっきりと教えられています。主の祈りを祈る時、お経のように唱えるのではなく、祈る度にその内容が自分の心からの願い、夢であるのかを吟味してみましょう。
【祈り】
《マタイ6章》
9だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
10御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。
11私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
12私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
13私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』
[国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。]
ライフチャーチ牧師 大谷 信道