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2013年7月10日(水)
ヘブル人への手紙 12:25-29
25語っておられる方を拒まないように注意しなさい。なぜなら、地上においても、警告を与えた方を拒んだ彼らが処罰を免れることができなかったとすれば、まして天から語っておられる方に背を向ける私たちが、処罰を免れることができないのは当然ではありませんか。26あのときは、その声が地を揺り動かしましたが、このたびは約束をもって、こう言われます。「わたしは、もう一度、地だけではなく、天も揺り動かす。」27この「もう一度」ということばは、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。28こういうわけで、私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。こうして私たちは、慎みと恐れとをもって、神に喜ばれるように奉仕をすることができるのです。29
私たちの神は焼き尽くす火です。
【ポイント】
①神様はすでにキリストによって語られた
キリストは信じる者にとっては恵み深い救い主であり、信じない者にとっては恐ろしい裁き主です。キリストのことばは、救いの福音であり、罪の宣告でもあります。ヘブル書の著者は4章でこのように説明しています。「12神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。13造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。」
しかし、神様の意図を忘れてはなりません。神様はすべての人が悔い改め、救いに導かれることを望んでいます。「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」(2ペテロ3:9)
そして、そのために必要なことばをすべて語り尽くされているのです。
②教会につながる意味
ヘブル書の著者は「こういうわけで、私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。」と呼びかけます。文体からも分かるように、個人への呼びかけではありません。「私たち」、つまり教会に対する呼びかけです。実は、教会の群れが互いに愛しあい、一致するという実を結ぶ時に初めて、そこに集う一人ひとりが霊的成熟に向かっていることを確認することができます。反対に、どのように聖書、神学の知識を持っていたり、神学校での教育を受けた人が集まったとしても、一致に導かれていなければ、そこにいる人々は霊的に未熟であると判断することができます。
ですから、私たちは「集まること」(10:25)、「交わること」を奨励し合い、真剣に関わり合い、赦し合い、尊敬し合い、受け入れ合い、そして訓戒し合うことが大切なのです。なぜなら「互いに愛し合う」という命令は、キリストにある兄弟姉妹という人間関係の中でのみ、全うされるからです。「キリストの体」「群れ」はコンセプト(概念)ではありません。実際にキリストの名によって愛し合う者の姿なのです。
【祈り】
《コロサイ3章》
16キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。
アーメン
ライフチャーチ牧師 大谷 信道