デイリーディボーション 10月16日(火)

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デイリーディボーション 10月16日(火)

2012年10月16日(火)

ヨハネの福音書 8:12-14
12イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」13そこでパリサイ人はイエスに言った。「あなたは自分のことを自分で証言しています。だから、あなたの証言は真実ではありません。」14イエスは答えて、彼らに言われた。「もしこのわたしが自分のことを証言するなら、その証言は真実です。わたしは、わたしがどこから来たか、また、どこへ行くかを知っているからです。しかしあなたがたは、わたしがどこから来たのか、またどこへ行くのか知りません。

【ポイント】
パリサイ人は「自称世の光」は許されないと批判しています。これは正しいことです。実際、私たちも自分が神であると称している教祖を信じることは絶対に無いからです。確かに、聖書の律法でも何らかの事件に関して有罪・無罪を判断するときには複数の証人が必要でした。「ふたりの証人または三人の証人の証言によって、(偶像礼拝をした者は)死刑に処さなければならない。ひとりの証言で死刑にしてはならない。
」(申命記)17: 6 それでは、イエス様の弟子の何人かが「彼は確かに神の子だ!」「世の光だ!」と証言したら、パリサイ人はそれを認めるでしょうか。いいえ、認めないでしょう。実際に、イエス様は様々な「しるし」を行うことによってもご自身を証しされてきました。そして、その証しは旧約聖書に照らし合わせ検証が可能な証しでした。結局、このパリサイ人は最初から信じるつもりがないので、どの様な証拠、証言が出されても、イエス様をキリストを信じることはないのです。

さて、それではイエス様をキリストとして信じている私たちはどうでしょうか。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」という約束の中に生きているでしょうか。イエス様が本当に自分の人生を照らす光となっているでしょうか。いのちの光の中を歩んでいるでしょうか。光の中を歩む日々がどの様なものであるのか具体的なイメージをもっていますか。イエス様を信じる者はすでにその光の中を歩んでいるのです。自分がどの様に感じていていようが、その約束はすでに実現していることを覚えましょう。せっかく光の中を歩んでいるのに、日傘をさして影を作るようなことはしてはなりません。キリストの光は私たちを生き返らせる力だからです。

イザヤ書58章8-11節
8 そのとき、暁のようにあなたの光がさしいで、あなたの傷はすみやかにいやされる。あなたの義はあなたの前に進み、主の栄光が、あなたのしんがりとなられる。
9そのとき、あなたが呼ぶと、主は答え、あなたが叫ぶと、「わたしはここにいる。」と仰せられる。もし、あなたの中から、くびきを除き、うしろ指をさすことや、つまらないおしゃべりを除き、
10飢えた者に心を配り、悩む者の願いを満足させるなら、あなたの光は、やみの中に輝き上り、あなたの暗やみは、真昼のようになる。
11主は絶えず、あなたを導いて、焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、あなたの骨を強くする。あなたは、潤された園のようになり、水のかれない源のようになる。

【祈り】
「主よ、あなたを愛します。今日もあなたの光の中を歩みます。あなたにすべてを委ねます。光そのものであるイエス・キリストのお名前で祈ります。」

ライフチャーチ牧師 大谷 信道


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