デイリーディボーション 4月24日(水)

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デイリーディボーション 4月24日(水)

2013年4月24日(水)

ヘブル人への手紙 6:2-3
2きよめの洗いについての教え、手を置く儀式、死者の復活、とこしえのさばきなど基礎的なことを再びやり直したりしないようにしましょう。3神がお許しになるならば、私たちはそうすべきです。

【ポイント】
「初歩の教え」の続きです。

①「きよめの洗い」・・・キリストのバプテスマの意味をしっかりと理解する
このことばの解釈に多くの議論があるようです。ギリシャ語では「バプティスモス」というバプテスマの複数形が使われています。「バプテスマ」はキリストのバプテスマがその原点ではありません。キリストのバプテスマの前にヨハネのバプテスマ、ユダヤ教の中での様々な「洗いの儀式」が行われていました。実際、使徒の働きの19章では、既にキリストの福音を力強く語っていたアポロがヨハネのバプテスマしか受けていなかったことが分かります。アポロは、キリストのバプテスマの意味、ヨハネのバプテスマの違いという「初歩の教え」を知らなかったのです。

②「手を置く儀式」・・・賜物の付与
ユダヤ教では手を置く儀式は、祝福を与えることを意味しました。イエス様も子どもに手を置き祝福しました。(マルコ10:16)
さらに、イエス様は病を癒す時に手を置かれました。しかし、「初歩の教え」という観点から、ここでの意味は「使徒の働き13章3節に見ることができるように「そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した。」というような、賜物の付与に関連していると思われます。つまり、「クラス301・霊的賜物」の学びは、まさに初歩の教えだということですね。

③「死者の復活」・・・キリスト教の信仰の本質・根拠
復活の理解の重要性については、イースターから1ヶ月にわたって礼拝説教の中で学んできましたね。そしてすべてのクリスチャンは「キリストの復活の証人」として立てられているいることを覚えましょう。

④「とこしえのさばき」
さばきがなければ、キリストの「救い」も「復活」も何の意味も持ちません。しかし、当時のユダヤ教ではサドカイ派の人々は「復活」も「永遠のいのち」も否定していました。実は、現代のクリスチャン(教会)の中にもそれらを否定するグループがあります。ですから、永遠の死、永遠のさばきについて正しく学びなさいというヘブル書の著者のメッセージは大変重要な意味を持ちます。

⑤似て非なるものに注意・・・だから学びが重要!
初歩的な教えを邪魔していた原因の一つは、キリストの教の「初歩の教え」に含まれる要素の中に、ユダヤ教や他の宗教と大変似ている物があったということです。例えば現代でもカトリック教会の洗礼と、プロテスタント教会の「バプテスマ」「主の晩餐」は、にて「似て非なるもの」といえるでしょう。「祈り」もすべての宗教に共通しているものでしょうが、キリスト教の「神様との親しい語り合い」という祈りの考え方は、仏教・神道の教えの影響を受けている一般的な日本人が持っている「祈願」のイメージとは全く違うものです。

【祈り】
《エペソ4章》
11こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。
12それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、
13ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。

アーメン

ライフチャーチ牧師 大谷 信道


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