デイリーディボーション 6月19日(水)

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デイリーディボーション 6月19日(水)

2013年6月19日(水)

ヘブル人への手紙 6:19
21信仰によって、ヤコブは死ぬとき、ヨセフの子どもたちをひとりひとり祝福し、また自分の杖のかしらに寄りかかって礼拝しました。22信仰によって、ヨセフは臨終のとき、イスラエルの子孫の脱出を語り、自分の骨について指図しました。

【ポイント】
①イスラエルの民は祝福の「バトン」を受け、子孫に渡していった。
多くのクリスチャン、教会が陥りやすい間違いは、祝福の「バトン」を渡されたまま、人に渡すことをしないことです。祝福のバトンが止まった瞬間に神様の計画が中断してしまうのです。ですから、ヘブル書の著者はヤコブ、ヨセフの生き様だけでなく、どのようにしてバトンが渡されていったかにも「信仰」の姿を見出しているのです。アブラハムがバトンを渡したのはイサクですが、そのバトンの継承が危うくされる場面が多々ありました。イサクも危うく、間違った息子にバトンを渡しそうになりました。ヤコブはの息子たちが本当にヨセフを殺してしまったら、ヨセフがエジプト売られなかったら、ヨセフが夢の解き明かしができなければ、そしてヨセフがエジプトの宰相にならなければ、ヤコブ一家は飢饉で餓死し、バトンの継承が途絶えたかもしれません。ですから、アブラハムに約束された全人類の祝福の約束は、自動的に受け継がれたのではなく、大変な経験を通し、あたかもリレー選手がバトンを渡していくように、駅伝選手がタスキを渡していくように、人から人へと渡されていったのです

②そのバトンは信仰によって「イスラエルの民」とされた私たちに渡された。
アブラハムの祝福は血縁関係のみによって継承されて行きました。しかし、イエス・キリストは祝福は「血」によって受け継がれるものではなく、「信仰」によって受け継がれるものであることを教えられました。「12しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。13この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」(ヨハネ1章)
でも、そのバトンを次の誰かに渡していくことによって祝福が受け継がれていくという方法は依然として変わっていません。

イエス様(聖霊の働き)によってバトンは無数に増やされ、キリストを信じる者全てに与えられるようになりました。しかし、あなたの与えられている責任は、アブラハム、イサク、ヤコブと変わることはありません。全人類の祝福の計画のために、イエス・キリストの福音のバトンを次の人に確実に渡していくことです。そして、その人が次の人にバトンを渡していく事が出来るように教え導くのです。これは「弟子訓練」とも呼ばれます。あなたの所で福音のバトンを止めてはならないのです。

【祈り】
《ガラテヤ3章》
7ですから、信仰による人々こそアブラハムの子孫だと知りなさい。
8聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので、アブラハムに対し、「あなたによってすべての国民が祝福される」と前もって福音を告げたのです。
9そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。

アーメン

ライフチャーチ牧師 大谷 信道


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