デイリーディボーション 5月23日(木)

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デイリーディボーション 5月23日(木)

2013年5月23日(木)

ヘブル人への手紙 10:1-4
1律法には、後に来るすばらしいものの影はあっても、その実物はないのですから、律法は、年ごとに絶えずささげられる同じいけにえによって神に近づいて来る人々を、完全にすることができないのです。2
もしそれができたのであったら、礼拝する人々は、一度きよめられた者として、もはや罪を意識しなかったはずであり、したがって、ささげ物をすることは、やんだはずです。3
ところがかえって、これらのささげ物によって、罪が年ごとに思い出されるのです。4雄牛とやぎの血は、罪を除くことができません。

【ポイント】

①罪の意識から自由にされる
イエス・キリストが自分の罪を贖うことができる完全な捧げものとして、ご自身をささげられ、死んでくださったことを信じる者は「罪の意識」から自由にされます。勘違いしてはいけない点は、「罪の赦し」とは、私たちが罪を犯さない者に変えられるのではありません。そうではなく、罪の報酬である死から自由にされる約束が与えられているということなのです。つまり、罪=死という法則から自由にされたのです。

②クリスチャンになった後に罪を犯してしまったらどうするのか?
誰でも救われた後に罪を犯し、自分の罪深さに絶望することがあるでしょう。そもそも、神様の聖さを知っていれば、一度も罪を犯さずに1日過ごすことすらできないことに気が付くはずです。キリストの個人的で現実的な関係を築き、成熟に向かいたいと思うのであれば、このように考えればよいのです。「イエス様はこんな罪深い私のために十字架で死んでくださったのだ!」「だから、私は救い主、イエス・キリストの贖いが必要なのだ!」

③日々「完全」な贖いを覚える
毎日自分の罪深さを直視しましょう。自分が罪人であることを認めましょう。そして、その都度、キリストの血によって、自分の罪は完全に贖われてしまったことを感謝するのです。「罪の意識」を覚える時は、自分を裁く時ではなく、キリストの愛に感謝する時なのです。

【祈り】
《1ヨハネ1章》
7しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。
8もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。
9もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。

ライフチャーチ牧師 大谷 信道


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