誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。
2013年5月1日(水)
ヘブル人への手紙 6:19-20
19この望みは、私たちのたましいのために、安全で確かな錨の役を果たし、またこの望みは幕の内側に入るのです。20イエスは私たちの先駆けとしてそこに入り、永遠にメルキゼデクの位に等しい大祭司となられました。
【ポイント】
①永遠のいのちの約束に対する「望み」は舟の錨(いかり)のように動くことがない
舟と錨(いかり)のイメージは私たちのクリスチャン生活を見事に描写しています。錨があれば舟を固定できます。しかし、実際には舟は波によって上下に揺られるものです。潮の流れが強ければ、自分は動いていなくても、あたかも舟が流されているように感じることもあるでしょう。同じように、キリストへの信仰に導かれ、永遠のいのちの希望が与えられていても、私たちの外側の世界は変わることはありません。例えば、不況、政治の不安定、自然災害、疫病等などは、大波のように私たちの地上での生活に多大な影響を及ぼします。学校、職場、過程での人間関係、家族関係も、あなたの救いの経験とは全く関係なく、基本的には以前と変わることはありません(もちろん「関係」ですから、あなたが変われば、相手の反応が変わることはあるでしょう)。しかし、決して忘れてはなりません。私たちの永遠のいのちの希望は、世の中のどのような状況によっても、あなたの精神状態によっても、その日の体調や気分によっても、全く影響を受けることがないものなのです。
②「動くもの」から手を放し、「動かないもの」につかまる。
多くの人はクリスチャンになった後も、自分のその時の「「感情」「体調」をあたかも「動かないもの」、絶対的なもののように扱ってしまいます。様々な判断をその時の気分や体調を中心にして行うので、周りからは安定性に欠く人に見えてしまいます。しかし、本人は自分の感情や体調に対して常に忠実であり、正直であるという自信があるので、その結果として実際の言動が一貫性を欠いてしまっていることにはなかなか気づきません。
「動いてしまうもの」にいくら必死にしがみついていても、結局流されてしまうのです。なぜなら、感情も体調も常に動くものだからです。そもそも、神様は人間の心と体をそのように創造されたのです。ですから、本当の問題は感情や体調が変化してしまうことではありません。それらは、どんなに努力して押さえつけても動くものなのです。本当の問題は、動かないものに固定されていないということです。だから、錨が切れた舟のように、糸の切れた凧(たこ)のように、波や風に翻弄されてしまうのです。ですから、決して動くことがない「神様の約束」と「希望」が必要なのです。しかし、不思議なことに私たちは「希望」によって固定されると、感情も体調も安定してしまうのです。あなたはの日々の歩みは、動くものにしがみ続けるような歩みになっていませんか?
【祈り】
《詩篇62篇》
5私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来るからだ。
6神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私はゆるがされることはない。
7私の救いと、私の栄光は、神にかかっている。私の力の岩と避け所は、神のうちにある。
8民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である。セラ
アーメン
ライフチャーチ牧師 大谷 信道