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2014年12月24日(水)
【通読】
ガラテヤ 3:23-24
23信仰が現われる以前には、私たちは律法の監督の下に置かれ、閉じ込められていましたが、それは、やがて示される信仰が得られるためでした。24こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。
【ポイント】
①律法は「養育係」
先日、イエス様こそ究極的な律法主義者であると学びました。イエス様は律法を一つも破ることなく完全に守られた唯一の存在なのです。「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」(ヘブル4:15)
さらにパウロも極めて厳格な律法主義者でした。「5私は八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。きっすいのヘブル人で、律法についてはパリサイ人、6その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。」(ピリピ3:5-6)
しかし、パウロが気付かされた事実は、人間の努力、行いによって神様の正しさのレベルに到達することができないという事実でした。そして、その時にはじめて救い主、イエス・キリストが必要であるということを悟ったのです。「22すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、23私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。24私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」
そのような経験をしたパウロがたどり着いた結論が律法は「養育係」だというものなのです。つまり、私たちが自分の不完全さ、罪深さを知り、救い主であるキリストを求めるために、律法が必要だったのです。
【日曜礼拝の中心聖句】
ローマ人への手紙 3章
22すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。23すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、24ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
【今週の適用と実践】
クリスマスの喜びを本当の喜びとするために
・罪と死の問題を直視し、人間の努力によってそれらを解決できないことを再確認する。
・キリストは私たちの罪深さを知りながら、私たちを愛し、私たちの身代わりとして十字架で死んでくださった。
・キリストの愛がなければ、この世での人生も、死後の世界でも虚しく、惨めなもとのなることを再確認する。
【今週の祈り】
「主よ、罪とその結果である永遠の死の深刻さを教えて下さい。主よこのクリスマスが、キリストの愛と赦しがなければ、私たちは生きていけないことを私たちが実感する
ライフチャーチ牧師 大谷信道