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2013年4月5日(金)
「キリストは世界中からご自分の羊を集めるために苦しまれ、死なれた」
ヨハネ 11:51-52
51ところで、このことは彼が自分から言ったのではなくて、その年の大祭司であったので、イエスが国民のために死のうとしておられること、52また、ただ国民のためだけでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死のうとしておられることを、預言したのである。
【ポイント】
イエス様が十字架にかかる時に大祭司であったカヤパはこのように言いました。「あなたがたは全然何もわかっていない。ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だということも、考えに入れていない。」(ヨハネ11:49-50)彼は、イエス様が「神の国」を建てるようなことをすれば、ローマ帝国軍によってイスラエルが滅ぼされてしまうと心配していたのです。ですから、イエス様を殺すことは、すべての国民を救うことになるのだと、その行為を正当化しようとしたのです。
しかし、使徒ヨハネはこのことばは、カヤパ自身は気がついていなかったけれども神様の御心を言い表していたと記しています。つまり、イエス様の苦しみと死の目的は、「散らされている神の子たちを一つに集めるため」だとカヤパが預言したというわけです。イエス様ご自身のこの事を教えられています。「また、わたしは羊のためにわたしのいのちを捨てます。
わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊があります。わたしはそれをも導かなければなりません。彼らはわたしの声に聞き従い、一つの群れ、ひとりの牧者となるのです。
」(ヨハネ10:15-16)
イエス様は弟子たちのためだけでも、ユダヤ人のためだけでも、2000年前の人のためだけでもなく、全時代の、全世界にいるイエス様の羊のために死なれたのです。羊とは誰でしょうか。イエス様は言われました。「門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます。彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。」(ヨハネ10:3-4)
イエス様はご自身の羊がイエス様の声を聞き、イエス様について行き、いのちを得るために、苦しみ、死なれたのです。
私たちの羊飼いである、イエス・キリストは今日も生きて、私たちを優しく導き、養ってくださっています。その姿を想像してみましょう。私たちはイエス様のみことばを食べ、成長していくのです。イエス様のみことばは私たちに必要な物すべてが含まれています。慰めが必要な者には慰めが与えられます。悔い改めが必要な者には、はっきりと戒めを示してくださいます。しかし、覚えておきましょう。私たちは、自分が食べたい物を羊飼いであるイエス様に要求するのではありません。イエス様から見て、私たちに必要な食物を与えて下さるのです。「毎日の聖書」「デイリーディボーション」「説教」などが、その重要な役割を果たしています。続けてみことばが与えられる、一つ一つの機会を大切にしていきましょう!
【祈り】
《詩篇23篇》
1主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
2主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
3主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
アーメン
ライフチャーチ牧師 大谷 信道