デイリーディボーション 12月19日(金)

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デイリーディボーション 12月19日(金)

2014年12月18日(木)

【通読】
ガラテヤ 3:10-12
10というのは、律法の行ないによる人々はすべて、のろいのもとにあるからです。こう書いてあります。「律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれる。」11ところが、律法によって神の前に義と認められる者が、だれもいないということは明らかです。「義人は信仰によって生きる」のだからです。12しかし律法は、「信仰による」のではありません。「律法を行なう者はこの律法によって生きる」のです。

【ポイント】
①信仰によって生きるとは神を愛すること
「信仰に生きる」という表現は、人によっては大変抽象的に感じるかもしれません。そのような人にとってはこれも抽象的に感じてしまうかもしれませんが、信仰によって生きるとは、神様の愛を受け、神様を愛することなのです。なぜなら、神様を信じるとは、何があっても神様を信頼し続けることであり。その信頼の根拠は神様が私たちを愛してくださっているということだからです。

②もったいない生き方
そして、私たちの良い行いの動機付けは、罰を恐れることではなく、神様からの愛なのです。律法、規則に従って良い行いをすること、神様の愛に応えて良い行いをすることは、外見上に違いはありません。しかし、前者はイエス様の放蕩息子とのたとえの兄のようなものです。父の大きな愛をうけずに、ただ模範的に長男としての義務をはたしていただけなのです。だからといって父の息子に対する愛に変わりはありません。問題なのは、兄が父の愛を受けずに、人生を過ごしていたことです。なんともったいない生き方でしょうか。

③キリストを日々の生活の中にお招きする
このように、律法、規則、義務によって生きる時に、そこには神様の愛が入り込む余地がなくなってしまうのです。しかし、自分が罪人であるという本当の自覚(概念を頭で理解しているだけではなく)を持つ時に、私たちは神様のあわれみ、赦し、つまり愛の関係を求めるようになるはずなのです。これが信仰に生きるということなのです。

繰り返しになりますが、この関係は抽象的な概念ではありません。夫婦関係、親子関係と同じく、毎日の生活のなかで体験するものなのです。ですから、今日もイエス様と一緒に過ごしてみましょう。職場で自分の隣にイエス様が座っている姿を想像してみましょう。食事の席にイエス様共にいてくださっている姿を思い描いてみましょう。なぜなら、それは単なる想像ではなく、霊的な現実だからです。

【日曜礼拝の中心聖句】
ヨハネの福音書 12章
46わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。47だれかが、わたしの言うことを聞いてそれを守らなくても、わたしはその人をさばきません。わたしは世をさばくために来たのではなく、世を救うために来たからです。

【今週の適用と実践】
・続けて、クリスマスを迎えるにあたり、この世が救いを必要としていることを覚えましょう。
・家族、友人が闇の中で迷い、苦しんでいる姿に痛みを覚えましょう。
・実は、人々が一番必要としているのは「神様の愛」であることを再確認しましょう。
・この世の全ての問題は「神様の愛」によって解決されるという確信、信仰を深めましょう。

【今週の祈り】
「主よ、あなたがこの世を救いたいと思っているその情熱を私も共有することができるように助けて下さい。その愛と情熱のゆえに、罪深く不完全な私たちが救われている喜びを深めるものとしてください。そして、あなたの愛がこの世の様々な問題の完全な解決策であるという確信をさらに深めることができるように助けて下さい。今週もあなたの光の中を歩みます。」

ライフチャーチ牧師 大谷信道


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