デイリーディボーション 5月20日(月)

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デイリーディボーション 5月20日(月)

2013年5月20日(月)

ヘブル人への手紙 9:23-24
23ですから、天にあるものにかたどったものは、これらのものによってきよめられる必要がありました。しかし天にあるもの自体は、これよりもさらにすぐれたいけにえで、きよめられなければなりません。24キリストは、本物の模型にすぎない、手で造った聖所に入られたのではなく、天そのものに入られたのです。そして、今、私たちのために神の御前に現われてくださるのです。

【ポイント】
①スマートになりすぎた現代のキリスト教が失ってしまったもの
先週、動物の犠牲の血は「いのち」であること、そして私たちの罪は動物のいのちと引き換えに贖われるというルールを神様が造られたことを学びました。しかし、動物の犠牲の血は、それ自体も「きよめ」の手段として用いられていました。「幕屋と礼拝のすべての器具にも同様に血を注ぎかけました」(22節)
さらに、シナイ山で最初に律法が与えられた時にモーセは屠った動物の血を祭壇や祭具だけでなく、イスラエルの民にもふりかけました。その時のことばが20節にも引用されていました。実際の場面を出エジプト記24章を見てみましょう。

6モーセはその血の半分を取って、鉢に入れ、残りの半分を祭壇に注ぎかけた。
7そして、契約の書を取り、民に読んで聞かせた。すると、彼らは言った。「主の仰せられたことはみな行ない、聞き従います。」
8そこで、モーセはその血を取って、民に注ぎかけ、そして言った。「見よ。これは、これらすべてのことばに関して、主があなたがたと結ばれる契約の血である。」

あなたは、動物の血が振りかけられる様子を想像できるでしょうか。その人々が血まみれになっている姿、そこに立ちこめる匂い、感触を想像してみましょう。現代の人が見たら「狂気」にしか映らないかもしれません。しかし、大切なポイントは、イスラエルの民のこのような経験があったからこそ、私たちはイエス様の十字架の意味がはっきりと知ることができるのです。

②「模型」はそれ自体は本物でなくても、キリストの贖いの意味を知る超重要な手がかり
イエス様は同じことばを最後の晩餐で引用されました。「これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。」(マタイ26:28)
これを聞いた弟子たちは、神殿での捧げ物のこと、そして出エジプト記24章をすぐに思い出したことでしょう。つまり、「本物の模型」がイエス様の十字架の意味を理解する上で極めて重要なものであったことが分かります。反対に、模型がなければ、イエス様の十字架の意味を理解することはできなかったでしょう。ですから、主の晩餐はイエス様の地上でのことば、行いだけでなく、聖書全体、神様の贖いの計画を思い出させるものでもあるということです。イエス様は旧約聖書は律法を廃棄されたのではなく、完成され、新しいものにされたのです。科学技術の発展と似ているかもしれません。科学の新しい発見によって、それ以前の研究が実質的に価値を失うことがあります。それでは、過去の研究が無意味だったのかといえばそうではありません。その積み重ねの上に新しい知識、技術が存在しているからです。

とても良い機会ですので、改めて出エジプト記、レビ記、民数記、申命記から律法について、ささげものについて学んでみましょう。

【祈り】
《マタイ5章》
17わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。
18まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。

アーメン

ライフチャーチ牧師 大谷 信道


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