デイリーディボーション 5月24日(金)

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デイリーディボーション 5月24日(金)

2013年5月24日(金)

ヘブル人への手紙 10:6-10
6あなたは全焼のいけにえと罪のためのいけにえとで満足されませんでした。7そこでわたしは言いました。『さあ、わたしは来ました。聖書のある巻に、わたしについてしるされているとおり、神よ、あなたのみこころを行なうために。』」8すなわち、初めには、「あなたは、いけにえとささげ物、全焼のいけにえと罪のためのいけにえ(すなわち、律法に従ってささげられる、いろいろの物)を望まず、またそれらで満足されませんでした」と言い、9また、「さあ、わたしはあなたのみこころを行なうために来ました」と言われたのです。後者が立てられるために、前者が廃止されるのです。10このみこころに従って、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです。

【ポイント】
①神様が本当に求めているものは?
最初に7節に引用されている詩篇40篇を確認してみましょう。
6あなたは、いけにえや穀物のささげ物をお喜びにはなりませんでした。あなたは私の耳を開いてくださいました。あなたは、全焼のいけにえも、罪のためのいけにえも、お求めになりませんでした。
7そのとき私は申しました。「今、私はここに来ております。巻き物の書に私のことが書いてあります。
8わが神。私はみこころを行なうことを喜びとします。あなたのおしえは私の心のうちにあります。」

神様はすべてを創造され、全宇宙を所有されている方です。ですから、何かが欲しいという理由で人間に捧げ物を要求しているのではありません。そうではなく、私たちが神様の愛を知り、神様を愛する者とされることを望んでいるのです。私たちが、自分の家族が愛し合う家族となることを望んでいるのと大きな違いはありません。

②神を愛する者となる
キリストがご自身を完全な捧げ物とされたことで、私たちは自分の罪の贖いのために動物の血を流す必要はなくなりました。しかし、捧げ物の重要性は他にもありました。マラキ書3章8節にはこのように記されています。「8人は神のものを盗むことができようか。ところが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか。』それは、十分の一と奉納物によってである。」神様が人々からの捧げ物を疎まれた理由は、人々が惜しんで捧げなかったり、または、惜しみながらささげていたりしたためです。つまり、そこには神様の恵み、憐れみ、赦しに対しての感謝がなかったからです。

愛する者は、愛する相手に対して何かを惜しむことをしません。現実的にすべての人に対して惜しまず与えることはできません。しかし、私たちと神様の関係においてはそうではありません。神様は、惜しまずに独り子を犠牲としてくださいました。それは、私たちに対する愛を示すためにそうされたのです。

あなたは、神様に対して惜しんでいることはないでしょうか。

【祈り】
《ローマ8章》
32私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。

アーメン

大谷 信道


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