デイリーディボーション 6月28日(金)

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デイリーディボーション 6月28日(金)

2013年6月28日(金)

ヘブル人への手紙 12:2
2信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

【ポイント】
①「忍耐をもって走り続ける」(1節)ために
「目を離さないでいなさい」という部分は、原語に忠実に訳すと「目を離さずに」という表現で、1節の「忍耐をもって走り続ける」を修飾する節であることが分かります。つまり、忍耐をもって走り続けるための具体的な方法を示しているのです。ですから、依然として大切な部分は「忍耐を持って信仰の歩みを続ける」という1節のメッセージなのです。そして、この忍耐はイエス様から与えられている「大宣教命令」に従って、福音宣教、教会の建て上げを行なっていく時に経験する様々な問題、迫害に対する忍耐です。

私たちにとっては、個人の信仰生活だけでなく、与えられている教会、つまり、神の家族、キリストの体の建て上げの中で経験する様々な課題の中での「忍耐」が求められていることになります。その歩みのすべてが苦難ではなく、喜びの方が大きいことは言うまでもありません。しかし、神の家族形成の歩みは、肉の家族形成と同じで、そこにはいつも喜びと、様々な困難が混ざっているものであること理解していることが大切です。

②なぜキリストを見続けるのか
私たちが、福音宣教、教会形成の業に喜びと忍耐をもって取り組む時に、キリストから目を離さない理由は、キリストがその業のために私たちの想像を絶するほどの苦難と忍耐を経験されたからです。繰り返しになりますが、ここでのキリストと私達の共通点は福音宣教、教会形成という使命に取り組んでいるところです。昨日学んだ通り、このメッセージを適用する前に私たちがするべきことは、自分の人生の優先順位を変更し、キリストから与えられた「使命」に生きることを一番にすることです。その歩みを始めた者は、イエス様から目を離さないことによって、苦難の中にあっても、キリストから慰めと励ましを受けることができる約束が与えられているのです。

③使命に生きると義務感が消える
「使命」と「義務感」は一見すると似ているのですが、実は全く違います。双方ともストレス、苦難を伴い、忍耐が必要とされます。しかし、何かを「義務感」から行うと実際以上の疲れを覚えます。弱音だけでなく、不平不満が湧き上がってきます。聖書の教える忍耐とは、義務感から生じるストレスや不平不満が爆発しないように、我慢し抑えこむことではありません。キリストから招かれ、自分でその使命に従うことを喜びの内に選びとった者が、あきらめずに歩み続けることです。

キリストの十字架を見つめる時に、信仰、伝道、教会形成の働きが「使命」へと変えられていきます。その働きが人から無理やり与えられたものではなく、私たちを愛し、私たちの罪のために十字架にかかってくださったイエス・キリストから与えられた使命であるとい理解を深めることができるからです。使命に生きる者は、人(牧師・リーダー・他の教会員・友人・家族)から誉められたり、認められたりしなくても、喜びをもってその業を進めることが出来るようになります。キリストの十字架を見つめ続けることによって、義務感、束縛感から解放され、自ら選び取った使命に生きるようになるのです。

【祈り】
《2コリント9章》
7ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。

アーメン

ライフチャーチ牧師 大谷 信道


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