デイリーディボーション 12月15日(月)

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デイリーディボーション 12月15日(月)

2014年12月15日(月)

【通読】
ガラテヤ 3:1-2
1ああ愚かなガラテヤ人。十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前に、あんなにはっきり示されたのに、だれがあなたがたを迷わせたのですか。2ただこれだけをあなたがたから聞いておきたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行なったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。

【ポイント】
①人間の忘れやすさのメリットとデメリット
神様は私たちの脳がものを忘れるように設計されました。ですから、悲しい経験をしても、その瞬間の感じる激しい痛み、苦しみを時間の経過と共に忘れることができます。この脳の働きがなければ、私たちは悲しみから立ち直ることができず、一生苦しみ続ける事になってしまうことでしょう。

一方、忘れてしまうという機能は祝福、嬉しい経験についても働いてしまいます。ガラテヤの教会の人々も十字架のキリストを目の前に描くことができるような祝福を経験したようですが、その感激、喜びを忘れ、間違った教えに流されてしまうという出来事が起きていたようです。

②祝福の記憶を新たにする
祝福の経験は喜びを維持するためには、繰り返し記憶を新たにし続けることが大切です。旧約聖書に記されている様々な祭事の目的は「礼拝」「祝い・セレブレーション」だけでなく「記憶の更新」にあるのだと思います。イエス様は制定された主の晩餐も全く同じです。イエス様はこのように言われました「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行ないなさい。」(ルカ22:19)
毎週の礼拝も同じです。私たちはイエス様が復活されたのが日曜日であるので、そのことを覚えるために日曜日に礼拝をしているのです。もしそれが、木曜日であったのなら、クリスチャンの礼拝は木曜日となっていたことでしょう。これから迎えるクリスマスも救い主がこの世に与えられたことを覚える日なのです。

このような意識的な取り組みがなければ、忘れやすいに私たちは、すぐに別の教えに流されてしまう可能性があることを覚えておきましょう。ガラテヤの教会の出来事は全く他人事ではないのです。

【日曜礼拝の中心聖句】
ヨハネの福音書 12章
46わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。47だれかが、わたしの言うことを聞いてそれを守らなくても、わたしはその人をさばきません。わたしは世をさばくために来たのではなく、世を救うために来たからです。

【今週の適用と実践】
・続けて、クリスマスを迎えるにあたり、この世が救いを必要としていることを覚えましょう。
・家族、友人が闇の中で迷い、苦しんでいる姿に痛みを覚えましょう。
・実は、人々が一番必要としているのは「神様の愛」であることを再確認しましょう。
・この世の全ての問題は「神様の愛」によって解決されるという確信、信仰を深めましょう。

【今週の祈り】
「主よ、あなたがこの世を救いたいと思っているその情熱を私も共有することができるように助けて下さい。その愛と情熱のゆえに、罪深く不完全な私たちが救われている喜びを深めるものとしてください。そして、あなたの愛がこの世の様々な問題の完全な解決策であるという確信をさらに深めることができるように助けて下さい。今週もあなたの光の中を歩みます。」

ライフチャーチ牧師 大谷信道


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