デイリーディボーション 1月24日(木)

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デイリーディボーション 1月24日(木)

2013年1月24日(木)

ヨハネの福音書 18:15-18
15シモン・ペテロともうひとりの弟子は、イエスについて行った。この弟子は大祭司の知り合いで、イエスといっしょに大祭司の中庭に入った。16しかし、ペテロは外で門のところに立っていた。それで、大祭司の知り合いである、もうひとりの弟子が出て来て、門番の女に話して、ペテロを連れて入った。17すると、門番のはしためがペテロに、「あなたもあの人の弟子ではないでしょうね」と言った。ペテロは、「そんな者ではない」と言った。18寒かったので、しもべたちや役人たちは、炭火をおこし、そこに立って暖まっていた。ペテロも彼らといっしょに、立って暖まっていた。

【ポイント】
「もうひとりの弟子」とは、この福音書の著者であるヨハネであると考えられています。そして、ここに他の福音書にはない驚くべき事実が記されています。それは、片田舎の漁師であるヨハネが、なんと大祭司知り合いであったということです。しかし、この驚きの背景には漁業従事者、さらに地方に暮らす人に対しての偏見があります。エルサレムに住んでいる人々はガリラヤ地方を田舎者、無学な者として馬鹿にしていたところがありました。さらに、日本人も含め、近現代のように様々な産業が発展した社会、または、学歴偏重社会に生きる者は、第一産業、つまり農業、漁業、林業に対する差別的な見方を持っている傾向があります。実は、クリスチャンの中にもそのような間違った感覚を前提にして聖書を読み込んでしまう傾向があります。「イエス様はペテロやヨハネのような貧しい漁師を招き、弟子にされたのです。」などと言い、イエス様は社会の弱者に対して福音を述べ伝えたと強調するのです。しかし、漁業従事者=貧しい者=社会的弱者という考え方は、現代人の勝手な思い込み、または、聖書の時代のエルサレム住民のガリラヤ地方住民に対する蔑視が背景にあるのです。

使徒ヨハネの背景についてマルコの福音書1章に大切な記述があります。「19また少し行かれると、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネをご覧になった。彼らも舟の中で網を繕っていた。20すぐに、イエスがお呼びになった。すると彼らは父ゼベダイを雇い人たちといっしょに舟に残して、イエスについて行った。」ヨハネの父、ゼベダイはいわゆる「網元」的な存在であったことを伺わせます。つまり、経済的には豊かな環境の中で育ってきたということです。そのような弟子たちがイエス様のミニストリーを経済的に支えていた可能性は否定できません。これは完全に私の個人的な想像ですが、ヨハネとヤコブの母親が二人の息子を新しい国で要職に就かせて欲しいと、イエス様に図々しい願いができた背後には、彼らもイエス様を経済的に支援していたという事実があったのかもしれません。(マタイ20:20-21)
実際、イエス様と弟子たちは霞を食べて生活していたわけではありません。少なくとも13人が毎日食べていくための経済的な必要を誰かが支えていたわけです。そして、ユダのような資金(生活費)を管理する者が立てられていた事実は、弟子たちが管理の必要な程度の資金を有していたことを物語っています。ちなみに、ペテロも雇い人ではなく、自分の船を所有していた漁業のビジネスオーナーであった可能性があります。「イエスは、そのうちの一つの、シモンの持ち舟に乗り、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。そしてイエスはすわって、舟から群衆を教えられた。」(ルカ5:3)しかし、大祭司と直接関わりを持つほどの立場にはいなかったのでしょう。

このような理由から、ヨハネ、その家族が大祭司と面識があったという記述を疑ってかかる必要はないわけです。ですから、イエス様は「社会的弱者」とレッテルを貼られている人々だけでなく、社会に大きな影響力を持つ者、裕福な家に育った人も、ご自身の計画のために招かれたということです。

ペテロがイエス様を裏切ってしまう場面については、明日以降に学んでいきましょう。

【祈り】
《詩篇33篇》
11主のはかりごとはとこしえに立ち、御心の計画は代々に至る。
12幸いなことよ。主をおのれの神とする、その国は。神が、ご自身のものとしてお選びになった、その民は。

アーメン

ライフチャーチ牧師 大谷 信道


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