デイリーディボーション 7月12日(金)

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デイリーディボーション 7月12日(金)

2013年7月12日(金)

ヘブル人への手紙 12:2-3
2旅人をもてなすことを忘れてはいけません。こうして、ある人々は御使いたちを、それとは知らずにもてなしました。3牢につながれている人々を、自分も牢にいる気持ちで思いやり、また、自分も肉体を持っているのですから、苦しめられている人々を思いやりなさい。

【ポイント】
①愛を実践する
前節の「兄弟愛をいつも持っていなさい。」ということばを受けて、具体的な兄弟愛の実践について記されています。2節の「旅人」が兄弟(クリスチャン)であるかどうかは明確ではありませんが、3節の「牢に繋がられている人々」は、信仰のために迫害を受けている人々だと思われます。現代に生きる私たちは「旅」と聞けば「リクリエーション」を思い浮かべますが、1世紀の中東では必ずしもそうではなかったでしょう。その多くは仕事、親戚の訪問、また伝道など、何らかの目的のために、仕方なく危険や不便を伴う旅をしなければならない状況があったと思われます。また、現代のように電話やインターネットで宿泊先を事前に予約することはできないため、宿泊先の確保できるかどうかも現地に到着するまで分からない場合が多くあったことでしょう。ですから、旅人が宿を確保することができず、野宿を強いられるような場合もあったことでしょう。

特に、ユダヤ人は「言い伝え」により、異邦人と共に食事をすることをしませんでしたから、旅先で宿が見つからない場合、その地に住むユダヤ人を見つけ泊めてもらわなければならなかったでしょう。さらに、ユダヤ人クリスチャンの場合は、依然として異邦人の家に泊まることに抵抗を覚える人達も多くいたでしょうし、ユダヤ人の家を見つけたとしても、キリストへの信仰のゆえに拒否される可能性があったでしょうから、さらに宿泊先の選択肢が狭くなっていたはずです。ですから、彼らにとっては、旅は私たちが想像するよりもはるかに大きな困難を伴う重大事だったことでしょう。ですから、宿泊先が見つからずに困っている「旅人」は、もしからした主にある兄弟姉妹かも知れないという思いを持つことが大切だったのでしょう。

【祈り】
《マタイ25章》
34そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。
35あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、
36わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』
37すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。
38いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。
39また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』
40すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』

アーメン

ライフチャーチ牧師 大谷 信道


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