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2013年6月20日(木)
ヘブル人への手紙 11:23-26
23信仰によって、モーセは生まれてから、両親によって三か月の間隠されていました。彼らはその子の美しいのを見たからです。彼らは王の命令をも恐れませんでした。24信仰によって、モーセは成人したとき、パロの娘の子と呼ばれることを拒み、25はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。26彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです。
【ポイント】
①あなたは神様の計画の実現のために選ばれた
神様はあなたの人生を豊かにするための道具ではありません。福音は天国に行くための手段でもありません。極めて大切なことなので、同じ内容を繰り返し確認しましょう。神様はご自分の計画のために、あなたを選び、あなたを用いようとしているのです。その計画とは、すべての人間から礼拝と栄光を受けることです。そして、その結果として、信じる者すべての人は祝福のうちに永遠を過ごすことになるのです。
②骨抜き(献身抜き)の信仰に注意
アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、そしてこの後に上げられる人物はすべて、神様の計画のために呼び出され、その計画の実現のために人生をささげた人々です。その結果として、彼らが大きな祝福を受けたことは明らかです。彼らはその計画について知り、計画に参加し、その実現を望んだのです。ヘブル書の著者はそれを「信仰」と呼びました。「信仰は、望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
」(11:1) ですから、自分の祝福だけ期待しながら、神様の計画への献身をしなければ、信仰は「骨抜き」になってしまうのです。
③「無償の愛」の誤解
現代のキリスト教の中では神様の見返りを求めない愛について誤解している方が多いようなので注意が必要です。神様の無償の愛とは、私たちがその罪深さの故に、神様から愛される価値もない者であるのに、神様が私たちを愛して下さっているという事実を指しています。イエス様は、「私はあなたを愛するが、あなたは私に従って来る必要はありません」、「私はあなたを愛するが、あなたは私を愛する必要はありません。」「私はあなたを愛するが、あなたは私のことばに従う必要はありません」と言われたでしょうか。決して言われていません。ですから、罪の性質をもつ人間に都合が良い「無償の愛」の解釈をイエス様に当てはめてはならないのです。私たちが、イエス様に従わず、愛そうとせず、みことばに聞くつもりがなくても、神様の私たちに対する愛は変わらないでしょう。しかし、イエス様はそのような関係を望んではいないことは明らかなのです。
【祈り】
《出エジプト3章》
10今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ。」
11モーセは神に申し上げた。「私はいったい何者なのでしょう。パロのもとに行ってイスラエル人をエジプトから連れ出さなければならないとは。」
12 神は仰せられた。「わたしはあなたとともにいる。これがあなたのためのしるしである。わたしがあなたを遣わすのだ。あなたが民をエジプトから導き出すとき、あなたがたは、この山で、神に仕えなければならない。」
アーメン
ライフチャーチ牧師 大谷 信道