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2014年12月16日(月)
【通読】
ガラテヤ 3:3-5
3あなたがたはどこまで道理がわからないのですか。御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか。4あなたがたがあれほどのことを経験したのは、むだだったのでしょうか。万が一にもそんなことはないでしょうが。5とすれば、あなたがたに御霊を与え、あなたがたの間で奇蹟を行なわれた方は、あなたがたが律法を行なったから、そうなさったのですか。それともあなたがたが信仰をもって聞いたからですか。
【ポイント】
①律法主義者のいい加減さを知る
一般的に律法主義の教えは厳しく、キリストの教えは優しい(ゆるい)というイメージを持っている人が多いのではないかと思います。しかし、実際はその正反対なのです。実は、キリストは究極の律法主義者であって、誰よりも律法について厳しい考え方を持っていたのです。イエス様の律法の基準、イエス様の教えた神様の聖さに照らすと、誰一人その基準を満たし合格することはできないのです。ですから、パリサイ派の人についてこのように言われたのです。「ですから、彼らがあなたがたに言うことはみな、行ない、守りなさい。けれども、彼らの行ないをまねてはいけません。彼らは言うことは言うが、実行しないからです。
」(マタイ23:3) 人間から見れば熱心に律法を守りながら生きているように見えるパリサイ人の生き方も、イエス様の基準からすると律法を守っていることにはなっていなかったのです。だからこそ、私たちは神様の恵みによって、神様に救っていただく以外に方法はないのです。
ですから、「行いによって義とされる」教えている律法主義者たちは、人間の罪深さについて極めていい加減であり、神様の義、正しさの基準を甘くみているということができるのです。律法主義の問題の本質は、神様の聖さ、正しさを侮っていることにあるのです。罪深い私たちが行いよって、神様の好意を得ることができると考えることは、私たちの傲慢さ以外の何ものでもないのです。
【日曜礼拝の中心聖句】
ヨハネの福音書 12章
46わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。47だれかが、わたしの言うことを聞いてそれを守らなくても、わたしはその人をさばきません。わたしは世をさばくために来たのではなく、世を救うために来たからです。
【今週の適用と実践】
・続けて、クリスマスを迎えるにあたり、この世が救いを必要としていることを覚えましょう。
・家族、友人が闇の中で迷い、苦しんでいる姿に痛みを覚えましょう。
・実は、人々が一番必要としているのは「神様の愛」であることを再確認しましょう。
・この世の全ての問題は「神様の愛」によって解決されるという確信、信仰を深めましょう。
【今週の祈り】
「主よ、あなたがこの世を救いたいと思っているその情熱を私も共有することができるように助けて下さい。その愛と情熱のゆえに、罪深く不完全な私たちが救われている喜びを深めるものとしてください。そして、あなたの愛がこの世の様々な問題の完全な解決策であるという確信をさらに深めることができるように助けて下さい。今週もあなたの光の中を歩みます。」
ライフチャーチ牧師 大谷信道