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2013年5月27日(月)
ヘブル人への手紙 10:19-20
19こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。20イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。
【ポイント】
①救いは「特権」である
通常、その数、量が少ない物は価値があるとされます。金やダイヤモンドが高値で取引されているのは、その希少性のためです。反対に誰でもが簡単に手にできるものは価値が低いと見られます。珍しい形の石ころを集めている人もいますが、普通は欲しがる人は少ないため高値で取引されることはありません。それでは「救いは」どうでしょうか。私たちはその価値を日々味わっているでしょうか。キリストを信じる者には誰にでも無償で与えられる救いが、さして価値のないもの、あって当たり前のものになってしまってはいないでしょうか。
ヘブル書の著者は、繰り返し救いの貴重さを様々な角度から説明しようとしています。至聖所は大祭司のみが、年に一度だけ入るできた場所です。つまり、神様と直接的な交わりは、それを許されていたものがほとんどいない、極めて貴重な特権だったのです。キリストはこの特権を、キリスト信じるすべての人に与えられたのです。
②救いの「価値」を知る
イエス様は神の国の貴重さについて繰り返し教えられました。神の国は、それが手に入るのであれば、手や足を切り落としてでも、目をくり抜いてでも手に入れるべきだと教えられました。(マルコ9章)
また、天の国は「畑に隠された宝」「良い真珠」のようなものであり、全財産を売り払ってでも手に入れたようが良いものであるとも教えられました。(マタイ13章)
そして、天の国はその価値が分からないも者がいるとも教えられ、それは豚に真珠をやるようなものであるとも教えられました。(マタイ7章6節)
もし、天の国が金や物で取引が出来るとしたら、あなたは、何を引き換えにしますか。
【祈り】
《ローマ1章》
15ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。
16私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。
アーメン
ライフチャーチ牧師 大谷 信道