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2013年7月8日(月)
ヘブル人への手紙 12:18-21
18あなたがたは、手でさわれる山、燃える火、黒雲、暗やみ、あらし、19ラッパの響き、ことばのとどろきに近づいているのではありません。このとどろきは、これを聞いた者たちが、それ以上一言も加えてもらいたくないと願ったものです。20彼らは、「たとい、獣でも、山に触れるものは石で打ち殺されなければならない」というその命令に耐えることができなかったのです。21また、その光景があまり恐ろしかったので、モーセは、「私は恐れて、震える」と言いました。
【ポイント】
①神様の啓示の意図を考える
神様の愛、憐れみ、恵みは永遠に変わることはありません。(マラキ3:6)以前も確認しましたが、「旧約の神様は恐ろしい神様で、新約の神(キリスト)は愛の神様」という間違ったイメージが植えつけられてしまっているクリスチャンがとても多いと思います。私もその一人でした。しかし、神様の本質は変わることはありません。もし、変わってしまうとしたら、それは神ではありません。
それでは、今日の箇所(出エジプト19-20章)を含め、旧約聖書に啓示されている神様の姿が恐ろしく映るのでしょうか。それは私たちの「罪」が原因です。神を神と思わず畏れ敬わない人間に対して、神様はご自身を畏れさせるように教え導かれたのです。神様の聖さを知らない人間に、罪の汚れの問題の深刻さを、恐怖をもって教えたのです。なぜなら、人間は罪の性質のために、怖く言われなければ、神様の行くことを聞こうとしなかったからです。つまり、神様の恐ろしい面を引き出している原因は、人間の側にあるということです。
バプテスマのヨハネは悔い改めようとしない人々にこのように警告を発しました。「斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。」(マタイ3:10)
ヨハネの福音書にもこのようにあるとおりです。「御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」(3:16)
john 4: 1」
しかし、これは、先に学んだ、神様が父として私たちを訓練してくださっているゆえであることを忘れてはなりません。そして、神様が神様に従順でありたいと願っている人間に無意味に恐怖を与えたり、理不尽な罰を与えたことは一度もないことを覚えておきましょう。(ヨブは一見そのようにみえますが、最終的には祝福を与えられました。)
【祈り】
《詩篇32篇》
1幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。
2幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人、その霊に欺きのない人は。
アーメン
ライフチャーチ牧師 大谷 信道