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2013年6月15日(土)
ヘブル人への手紙 11:13-15
13これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。14彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。15もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。
【ポイント】
①神様の夢は、夢物語ではなく、必ず起きる現実
昨日は「夢」の話をしました。キリストを信じるとは「神様の夢」を「自分の夢」として生きていくことであることを確認しました。教会は同じ「夢」を持った者の集まりであるともいえます。ちなみに、この「神様の夢」は「ビジョン」ということばが使われます。神様ビジョンの中には「神の国」が含まれています。神様は信じる者を神の国に住まわせたいと願っています。そして、私たちも神様と永遠を過ごすことを夢見ています。しかし、大切なことは神様のビジョンは単なる夢物語ではなく、必ず与えられる現実だということです。イエス様はヨハネの福音書14章の中で信じる者のために永遠の住処を与える約束をされているとおりです。
②神様の夢は私たちの価値観を変える
アブラハムは、自分の故郷(そこにある財産・土地・親戚関係・人間関係)よりも、神様が与えられる故郷に価値を認めました。アブラハムは神様が与えられる故郷を求め続ける生き方を選んだのです。しかし、多くのクリスチャンは「自分の夢」「自分の故郷」と「神様の夢」「永遠の故郷」の間に板挟みになってしまっているようです。本来、クリスチャンになるとは自分の夢を捨て去ることなのですが、現代の教会ではそのことをははっきりと教えず、永遠の故郷に生きるための身辺整理の手伝いも疎かにしているケースが多いようです。自分の夢をキープしながら、罪の赦し、永遠の命、天国の約束も手に入れることができるかのような印象を与えるような教え方をしている牧師、宣教師、リーダーが多いのではないでしょうか。
③価値観が変わると生き方が変えられる
キリスト信じ、成熟したクリスチャンになるには時間が必要です。しかし、アブラハムが神様の夢に生きるようになったのが分かったのはいつでしょうか。それは、彼が神様に示された方角に歩きはじめた瞬間です。彼の信仰の出来事のクライマックスはイサクを捧げた時でしょう。しかし、かれは信仰の出発地点は、自分の故郷を捨て、詳しい行き先も分からずに出て行った時であることは明らかです。あなたは、正しい信仰の出発をしたでしょうか。もし、そうでなければ再決心、再出発をしようではありませんか。
【祈り】
《マタイ6章》
24だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。
33だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
アーメン
ライフチャーチ牧師 大谷 信道