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2013年5月10日(金)
ヘブル人への手紙 8:6-12
6しかし今、キリストはさらにすぐれた務めを得られました。それは彼が、さらにすぐれた約束に基づいて制定された、さらにすぐれた契約の仲介者であるからです。7もしあの初めの契約が欠けのないものであったなら、後のものが必要になる余地はなかったでしょう。8しかし、神は、それに欠けがあるとして、こう言われたのです。「主が、言われる。見よ。日が来る。わたしが、イスラエルの家やユダの家と新しい契約を結ぶ日が。9それは、わたしが彼らの父祖たちの手を引いて、彼らをエジプトの地から導き出した日に彼らと結んだ契約のようなものではない。彼らがわたしの契約を守り通さないので、わたしも、彼らを顧みなかったと、主は言われる。10それらの日の後、わたしが、イスラエルの家と結ぶ契約は、これであると、主が言われる。わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる11また彼らが、おのおのその町の者に、また、おのおのその兄弟に教えて、『主を知れ』と言うことは決してない。小さい者から大きい者に至るまで、彼らはみな、わたしを知るようになるからである。12なぜなら、わたしは彼らの不義にあわれみをかけ、もはや、彼らの罪を思い出さないからである。」
【ポイント】
①キリストは「さらにすぐれた」方
「よりすぐれた」「さらにすぐれた」ということばは、ヘブル書の最重要キーワードです。著者は、キリストが「御使い」、「アブラハム」「メルキゼデク」「モーセ」「アロン」よりもはるかに優れた方であることを証明することによって、キリストの素晴らしさを伝えようとしているのです。
②「欠け」とは?
ヘブル書の著者は神様の計画に不完全な部分があったと指摘しているのでしょうか。もちろん、そうではありません。おそらく、律法が完全なものだと信じているユダヤ人に対して、キリストが律法の完成者であることを説明しようとしているのでしょう。これは、イエス様ご自身が説明されています。「17わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。」(マタイ5:17)
③不完全なものがあるからこそ、「さらにすぐれた」方、完全な方を知ることができる
上で説明した通り「欠け」は、神様の失敗ではなく、完全なものを教えるためのプロセスの途中であったことが分かります。なぜなら、律法を行うことによっては人は義とされないこと、人間が神様の前で罪深いものであることを徹底的に知るために律法は必要だったのです。旧約聖書に一切触れないでキリストについて証しすることは不可能です。
④すべての計画は「主を知ること」のため
神様の願いは私たちが宗教に熱心になることではありません。ミニストリーに熱心になることでもありません。イベントに熱心になることでもありません。神様はすべての人が神様のことを深く知り、深く愛し、その平安の中に生きていくことを望まれています。律法のこの目的のために与えられました。人が自分の罪深さを直視し、神様の聖さを知るためです。私たちは神様を知ることによってのみ、本当の意味で生き方が変えられます。反対に、宗教的に熱心に見える生き方続けても、必ずしも神様を知ることにはならないのです。
【祈り】
《コロサイ2章》
2それは、この人たちが心に励ましを受け、愛によって結び合わされ、理解をもって豊かな全き確信に達し、神の奥義であるキリストを真に知るようになるためです。
3このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。
4私がこう言うのは、だれもまことしやかな議論によって、あなたがたをあやまちに導くことのないためです。
アーメン
ライフチャーチ牧師 大谷 信道