デイリーディボーション 4月19日(金)

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デイリーディボーション 4月19日(金)

2013年4月19日(金)

ヘブル人への手紙 5:11-12
11この方について、私たちは話すべきことをたくさん持っていますが、あなたがたの耳が鈍くなっているため、説き明かすことが困難です。12あなたがたは年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神のことばの初歩をもう一度だれかに教えてもらう必要があるのです。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要とするようになっています。

【ポイント】
今日の「神のことばの初歩をもう一度誰かに教えもらう必要がある」ということばからの適用を考えてみましょう。現代の教会においては、大変初歩的な教えであるはずなのに、誤解が多い教えの一つは「バプテスマ」です。「バプテスマ」の取り扱いに関しては、「主の晩餐」と並び宗教改革の議論の中心の一つとなるほど長く議論され、教えられてきた内容です。①「バプテスマ(洗礼)」は救いのために儀式ではないこと、②むしろ、「バプテスマ」はイエス・キリストを救い主と信じ、人生の主としてキリストを第一として従っていく信仰を与えられた者、つまり、クリスチャンにが受けるべきもの、という理解はプロテスタント教会の一致した聖書理解であり、初歩的な教えでもあります。

ところが日本では「私は◯◯才のときにバプテスマ(洗礼)を受けました。」という表現が、自然と口から出てしまうプロテスタント信者が大変多いことは、これまでも度々確認して来ましたね。さらに、多くの教会で、、しばらく礼拝に通っている人に「◯◯さん、そろそろバプテスマを受けませんか?」という誘いをする牧師や、信者をよく見かけます。これは、未信者の方に大きな誤解を与える「クリスチャン用語」です。多くのクリスチャンは「イエス様を信じる決心をし、バプテスマを受け、この教会で主にある兄弟姉妹として共に歩んでいきましょう!」という思いを表現するために「バプテスマを受けない?」という「ちょっと遠回しな表現」を使ってしまいます。しかし、未信者の人は「バプテスマを受けてクリスチャンになりませんか?」ということばに聞こえてしまうことでしょう。聖書理解が不十分な方が、イエス様に従うという信仰決心よりも、自分が天国に行きたいという願望が先に立ち、その手段(保険)としてバプテスマを受けたいと思う人がいることは不思議ではありません。問題は彼らにではなく、既にクリスチャンとして歩み、そのような方々を導く者、今日の箇所で言えば「年数からすれば教師になっていなければならない」人達の問題なのです。

もしかしたら、皆さんの中にもそのような呼びかけからバプテスマを受けた人はいないでしょうか。実は私もその一人です。しかし、聖書の初歩的な学びを通してそれが間違いであったことに気づきました。ヘブル書の著者は、知識がないことを批判し、責めているのではありません。言い回しはちょっと厳しいですが、しっかりとみことばを学んでいくことを奨めているのです。

他にも、意外と初歩的な内容で間違った理解をしてしまっていることはないでしょうか?でも、いつでも「初歩」から学び直せば良いのです。遅すぎることはありません。分かったふりをする必要もありません。つづけて、一緒に学んで行きましょう。

【祈り】
《エペソ4章》
11こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。
12それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、
13ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。

アーメン

ライフチャーチ牧師 大谷信道


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