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2013年7月2日(火)
ヘブル人への手紙 12:5-8
5そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。
6主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」7訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。8もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。
【ポイント】
①天の父の親心を知る
幼稚な子どもは親から訓戒を「意地悪」と捉えます。もう少し大きくなった子どもは「支配」と捉えたりします(実際に、必要以上に支配的であることは悪いことですが・・・)。自分の意思、欲望に反することには聞き従いたくないからです。しかし、健全な親は「愛」から、子どもの成長のために必要なことを言い、行い続けます。そして、子どもも成長するに従い、それが両親の愛から出たものであることを理解するようになります。
同じように、霊的に未熟なクリスチャンは、御霊とみことばの導き、命令が自分の意思、欲望に反する時に無視したり、反抗したりします。もう少し成長すると、みことばを自分勝手に解釈し、自分の行為を正当化し、自分がいかにも神様の御心を行なっているかのようなふりをしたりします。しかし、私たちは霊的に成長するに従って、みことばと御霊の導きが天の父の「愛」から出ていることに気が付き、それに従うようになっていくのです。
②神様の訓練とサタンの誘惑を混同してはならない。
自分にとって「苦痛」と思えることは、すべてサタンからの攻撃だと理解してしまうクリスチャンが多くいます。しかし、神様があなたを成長させるために、あえて難しい道を通らせることがある方であることを知ることが重要です。神様は私たちを誘惑し、罪を犯させることは決してなさいません。(ヤコブ1:13)
しかし、時として私たちの訓練のために苦難を与えることがあるのです。例えば、夫婦関係が悪くなった時に、夫が「主よ、妻がサタンの攻撃を受け、傲慢になっています。彼女を助けて下さい」と祈っているとしたらどうでしょうか。一見信仰的にも見える夫の姿ですが、自分は絶対に悪く無いと信じこみ、問題が相手にあると決めつけている傲慢さに、本人は気がついていないのです。神様が互いに愛し続けること、赦し続けることを学ばせるために神様から与えられた訓練であるという捉え方を忘れてはなりません。
③常に天の父に従順でいる
サタンの攻撃であろうが、神様の訓練であろうが、大切なことは自分が神様の御心に従順であるのかを吟味することが大切です。それが神様を愛することになるのか、隣人を愛することになるのかを吟味していくのです。その際に大切なことは、①言うまでもなく、聖書に聞くことです。②次は教会の牧師、リーダー、兄弟姉妹に助言を求めることです。交わりの重要性は、楽しみ、慰めだけではありません。互いに、愛をもって助言を与え合うことにあります。当然、ことばのかけ方には細心の注意と、愛、赦しが必要になります。ですから、傷の舐め合いでもなく、裁き合いでもない、関わりを築いていくことが重要になります。愛の関わりができる成熟したスモールグループを形成するプロセスの中に成長のチャンスがあるのです。
【祈り】
《箴言3章》
11わが子よ。主の懲らしめをないがしろにするな。その叱責をいとうな。
12父がかわいがる子をしかるように、主は愛する者をしかる。
アーメン
ライフチャーチ牧師 大谷 信道