デイリーディボーション 5月18日(土)

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デイリーディボーション 5月18日(土)

2013年5月18日(土)

ヘブル人への手紙 9:19-22
19モーセは、律法に従ってすべての戒めを民全体に語って後、水と赤い色の羊の毛とヒソプとのほかに、子牛とやぎの血を取って、契約の書自体にも民の全体にも注ぎかけ、20「これは神があなたがたに対して立てられた契約の血である」と言いました。21また彼は、幕屋と礼拝のすべての器具にも同様に血を注ぎかけました。22それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。

【ポイント】
①神様は私たちのために「分かりやすいルール」を作られた
神様は「すべてのものは血によってきよめられる」「ちを注ぎ出すことがなければ、赦しはない」というルールを作られました。レビ記17章11節に「なぜなら、肉のいのちは血の中にあるからである。」とあるとおり、血液は肉体のいのちそのものと考えられていました。実際、怪我などで出血が多い時に人が死んでしまうことは古代から知られていたことでしょう。つまり、神様は人間の罪の汚れ、罪そのものをきよめる方法は「いのち」だけであることを教えたわけです。なぜなら、「罪」の問題はそれだけ深刻な問題であることを教えるためです。

②神様は「罪の重荷」を教えられた
罪の赦し、けがれのきよめのためには、動物のいのち、つまり、犠牲がささげられる必要がありました。それは神様が「罪の深刻さ」を教えるたであったわけですが、具体的にはどのようなことだたのでしょうか。まず、自分が大切に育てた家畜を自分の罪の赦しのために犠牲にすることは、精神的、感情的に大きな痛みを伴うものでした。これも、家畜を育てが経験がない人には分からないことですね。犬や猫などのペットを飼っている人は、その最愛のペットを自分の罪の赦しのための犠牲としてささげ、自分の目の前で首が割かれ、血が抜かれ、皮が剥がされる姿を想像すると良いかもしれません。それが、犠牲をささげる痛みであり、重荷だったのです。

さらに、動物の犠牲は大きな経済的な貨幣経済が発達した後は、人々は捧げ物をお金を出して買うことができました。しかし、本来はそのようなものではありませんでした。特に、荒野で生活していたイスラエルの民にとっては、家畜は「財産」そのものでした。自分の罪の贖いのために、自分自身は大きな経済的な痛み、負担を覚悟する必要があったのです。

③捧げ物の重荷、痛みを知っているものは、十字架につけられた「独り子」の価値を知っている
捧げ物の痛みを知っている者は、イエス様の十字架のためにどれだけ神様が大きな犠牲を払われたのかということを知ることができます。あなたは、自分の罪の赦しのために自分の愛犬、愛猫をささげることができますか?でも、よく考えてみましょう神様は、ペットでも、家畜でもなく、ご自分の独り子を、私たちの罪の贖いのために捧げてくださったのです。キリストは、ご自分のいのちを惜しまずに差し出してくださったのです。その払われた犠牲の大きさ、覚えられた痛みを分かっていますか。自分の家畜を犠牲にする痛みをしならい私たちは、真剣にその痛みを理解する努力をする必要があるのではないでしょうか。

【祈り】
《ローマ8章》
32私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。

アーメン

ライフチャーチ牧師 大谷 信道


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