デイリーディボーション 11月15日(土)

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デイリーディボーション 11月15日(土)

2014年11月15日(土)

2コリント 11:32-33
32ダマスコではアレタ王の代官が、私を捕らえようとしてダマスコの町を監視しました。33そのとき私は、城壁の窓からかごでつり降ろされ、彼の手をのがれました。

【ポイント】
①迫害者から被迫害者への転身
今日の箇所に記されている出来事を使徒の働きから見てみましょう。

ご存知のように、キリストに出会う前のパウロ(サウロ)は、キリスト教徒に対する迫害を行っていました。
使徒8章
「1サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。
2敬虔な人たちはステパノを葬り、彼のために非常に悲しんだ。3サウロは教会を荒らし、家々に入って、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた。」
使徒9章
「1さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて、大祭司のところに行き、2ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。それは、この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。」

パウロはクリスチャンたちを殺害したり、逮捕するためにダマスコという地方に向かっている途中で復活のキリストと出会い、悔い改め、使命を受けました。パウロはその出来事の直後から伝道者としてキリストの福音を伝え始めました。そして瞬間から迫害者から被迫害者となってしまったのです。

使徒9章
「20そして(パウロは)ただちに、諸会堂で、イエスは神の子であると宣べ伝え始めた。21これを聞いた人々はみな、驚いてこう言った。『この人はエルサレムで、この御名を呼ぶ者たちを滅ぼした者ではありませんか。ここへやって来たのも、彼らを縛って、祭司長たちのところへ引いて行くためではないのですか。』22しかしサウロはますます力を増し、イエスがキリストであることを証明して、ダマスコに住むユダヤ人たちをうろたえさせた。23多くの日数がたって後、ユダヤ人たちはサウロを殺す相談をしたが、24その陰謀はサウロに知られてしまった。彼らはサウロを殺してしまおうと、昼も夜も町の門を全部見張っていた。25そこで、彼の弟子たちは、夜中に彼をかごに乗せ、町の城壁伝いにつり降ろした。」

今日の箇所は時系列的にも直前に記されている迫害以前の出来事であり、ちょっと唐突な印象を受けます。しかし、この経験はパウロにとっては一番最初の迫害の経験であり、おそらく初め命の危険を感じた経験でもあり、決して忘れることができない出来事だったのでしょう。しかも、自分の命を狙っている者は自分と同じユダヤ人たちだったのです。ここで、パウロは自分が生まれ育ったユダヤ人コミュニティー、聖書を学んだパリサイ人たちのコミュニティーなど、それまで自分に取って極めて重要だったもの、もっと言えば、アイデンティティーそのものを捨てることになったことに初めて気づいた瞬間でもあったのではないでしょうか。

②この世との決別
私たちクリスチャンも同じ経験をしています。私たちもイエス様を信じた瞬間から、この世に属する者から、天の御国に属するものへと変えられたのです。私たちはこの世では外国人として生きていく者とされているのです。その自覚をははっきりと持っているでしょうか。パウロのような迫害を受けていないと実感を持つことが難しいかもしれません。しかし、霊的な現実はそうなのです。私たちは、イエス様から遣わされて、外国であるこの地上で生きているのです。この歩みは決して楽なものではありません。ですから、私たちは毎週集まり、励まし合うことが大切なのです。外国には「日本人会」のような集まりがあり、定期的に集まり日本語、日本料理、日本文化などを楽しみます。教会はある意味、地上にある「天国人会」のような側面も持っているのです。

【祈り】
《ピリピ3章》
20けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。

アーメン

ライフチャーチ牧師 大谷 信道


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