デイリーディボーション 9月26日(金)

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デイリーディボーション 9月26日(金)

2014年9月26日(金)

2コリント 5:15-16
15また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。16ですから、私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。

【ポイント】
①キリストのために生きる
パウロは自身の使徒としての召しに疑問を持つ人に対して、自分が神様から直接召されていることを説明してきました。しかし、今日の箇所ではその召しはパウロや他の使徒たちだけでなく、キリストを信じるすべての人に与えられているものであることを説明しています。つまり、キリストの信じるすべての者は、「自分のために死んでよみがえった方のために生きる」人生へと招かれているのです。

あなたはキリストのために生きていますか。キリストのために生きるとは、キリストのために勉強し、キリストのために進学し、キリストのために就職し、キリストのために働き、キリストのために昇進し、キリストのために転職し、キリストのために結婚し、キリストのために子どもをもうけ、キリストのために子どもを育て、キリストのために引退し、キリストのために死ぬということです。キリストのために人生を捧げるということは、伝道者としての召しを受けた一部の人だけだと思い込んでいる人が多いのではないでしょうか。しかし、今日のパウロのことばから、そして福音書に記されているイエス様の招きのことばからも、イエス様を信じるすべての人がイエス様のために生きる人生に召されていることが明らかなのです。

②献身者として歩み始める
イエス様を信じ、その招きに従いながら、献身者としての歩を始めず、立ち止まったままのクリスチャンが大変多くいます。キリストを信じ、永遠の命が与えられ、極めて具体的な使命を与えられながら、「自分は何をしたら良いのだろう?」などと考えている人が多いのです。その姿をたとえて言うのであれば、ディズニーランドのチケット手にし、園の地図、アトラクション、レストランの詳細を把握しながら、入場門を通り抜けたところで何時間も立ち止まっているようなものです。そこに立ち止まっている限り、キリストのために生きていく人生の喜び、楽しさを、頭で妄想しているだけで、本当に体験していることにはならないのです。まずは、献身者としての歩みを始めるのです。そうすれば、目の前に自分のやるべきことが必ず見えてくるのです。

私もかつてこのような生き方を始めた時のことをよく覚えています。それは高校生の時でした。これは奉仕だけの話ではないのですが、教会の中を見ると、自分にも関わることができる働きが山のようにあることに気が付きました。教会学校の手伝い、教会の建物の清掃、修繕、敷地内の草抜き、音響、証明の改善、食事の準備、献金の集計、礼拝後に子どもたちと遊んであげることなど、教会内の奉仕だけでもで手が足りていない部分、全く手付かずになっている部分がたくさんあることに気が付きました。そして、そのほとんどを誰かから頼まれてではなく、自分から行っていきました。しかも、その生き方がとても楽しく、充実していることにも気が付きました。なぜなら、イエス様が喜んでくださっているという確信があったからです。

まずは、あなたが献身者としてイエス様から召されている事実を受け入れ、その召しに従うことが始めればいいのです。自分の人生の立ち位置を変えると、目の前の風景が全く別のものになるのです。そして、イエス様があなたを召されている場所がはっきりと見えるようになるはずです。

【祈り】
《ローマ14章》
6日を守る人は、主のために守っています。食べる人は、主のために食べています。なぜなら、神に感謝しているからです。食べない人も、主のために食べないのであって、神に感謝しているのです。
7私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。
8もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。

アーメン

ライフチャーチ牧師 大谷 信道


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