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2013年5月7日(火)
ヘブル人への手紙 7-18-24
18一方で、前の戒めは、弱く無益なために、廃止されましたが、19――律法は何事も全うしなかったのです――他方で、さらにすぐれた希望が導き入れられました。私たちはこれによって神に近づくのです。20また、そのためには、はっきりと誓いがなされています。21――彼らの場合は、誓いなしに祭司となるのですが、主の場合には、主に対して次のように言われた方の誓いがあります。「主は誓ってこう言われ、みこころを変えられることはない。『あなたはとこしえに祭司である。』」――
22そのようにして、イエスは、さらにすぐれた契約の保証となられたのです23また、彼らの場合は、死ということがあるため、務めにいつまでもとどまることができず、大ぜいの者が祭司となりました。24しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。
【ポイント】
①「律法」の限界を知る
旧約聖書の律法は全く無意味だったわけではありません。律法が与えられたからこそ「律法は何事も全うしなかった」と知ることができたのです。律法と真剣に向き合った人ほど、自分の努力の限界、律法を守ることの限界を知るはずだからです。つまり、自分が罪人であり、決して自分の力では律法を全うし、神様の前に義とされることは無いことを知ることが出来るのです。しかし、律法の役割はそこまでであり、「救い」という観点からすると、「弱く無益な」ものだったのです。
②「律法」のシステムから完全に決別する勇気を持つ
「きまりを守れば神様に喜ばれる」、「これをすれば親(人)から喜ばれる」というシステムが染み付いてしまった人は、そこから抜け出すことは容易ではありません。これが「律法」のシステムの特徴なのです。一方では「律法」は重荷だと知っていながら、もう一方では「律法」がなくなったら何をして良いのかわからなくなってしまうという不安を感じるものなのです。これは、ユダヤ人だけの話ではありません。おそらく戒律を重んじる宗教システム(イスラム教、仏教等)の中に生きてきた人も、戒律が無くなったらどのようにして生きてよいのか分からなくなってしまうでしょう。同じように、自分でルール(ゴール)を作り「努力」することに生きがいを見出しきた人も、そのシステムが取り去られたらどのようにして生きて良いのかわからなくなってしまう不安を持っています。しかし、自分が大切にしてきた「律法」「戒律」「規範」が「無意味」であったことに気づき、それらを完全に捨て去る決意がなければ、キリストの「恵み」から、すぐに古い生き方に戻ってしまう傾向があることを、すべてのクリスチャンが知っている必要があるのです。
③大祭司イエス・キリストの愛と恵みのシステムの中に生きる
自分がこの新しいシステムの中に生きているかどうかを確かめる方法は簡単です。それはあなたが様々な困難やストレスに満ちたこの世の中で、今日も「希望」を持っているかどうか、自分の内面を見つめることです。「希望」が与えられている人は、悩みストレス、疲れを覚えながらも「平安」を保っています。「希望」を持っている人は、自分の問題の原因をしっかりと把握しています。なぜなら、「希望」は不安の原因を直視する勇気を与えてくれるからです。
「キリストの愛のと恵み」のシステムに生きているのかを確かめる別の良い方法は、自分が感じている「不安」や「悩み」をどのような方法で解決しようとしているのかを見ることです。「無意味」だったはずの、古い方法で問題を解決しようとしていないでしょうか。でも、古い方法では駄目だったことを思い出しましょう。それがどのような種類の問題、悩みであろうとも、大祭司であるイエス様はすべてをご存知であり、キリストだけがその問題の解決を与えて下さる方なのです。古い方法が駄目だったから、キリストに救いを求めたのではありませんか。ちょっと問題が解決したからといって、安心して古い方法に戻ってはならないのです。キリストだけが与えられる希望を信頼して生きて行きましょう。
【祈り】
《ガラテヤ2章》
21私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です。
アーメン
ライフチャーチ牧師 大谷 信道