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2014年10月2日(木)
2コリント 6:3-5
3私たちは、この務めがそしられないために、どんなことにも人につまずきを与えないようにと、4あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しているのです。すなわち非常な忍耐と、悩みと、苦しみと、嘆きの中で、5また、むち打たれるときにも、入獄にも、暴動にも、労役にも、徹夜にも、断食にも、
【ポイント】
①地道な歩みを大切にする
今日の箇所からも、パウロの使徒としての歩みは困難の連続だったことが分かります。ただ、難行苦行のため、後の武勇伝のために敢えて困難な道を選んだというわけでもないでしょう。ある外国からの宣教チームが公園で伝道していたところ、近隣住民が警察に通報し、警察官が駆けつけ注意をされたにもかかわらず、注意を無視しトラクトなどを配り、結局派出所に連行されてしまったことがあったそうです。その後、そのリーダー(牧師)は日本の警察からの迫害を受けながら伝道を続けることができたと証しをしてたそうなのです。本人にとっては良い経験になったのでしょうが、残念ながら、その後その公園で伝道を続けることは難しくなってしまったことでしょう。不必要に緊迫した状況を引き起こすことは、結果として多くの人に「つまづき」を与え、かえって逆効果になることもあるのです。
反対に、結果や効率(ある意味、楽な伝道方法)を求め、伝道の方法や戦略を次々変えてしまうのも考えものです。すぐに結果が現れなくても、忍耐強く地道にイエス様のみことばを伝え続けていくことが大切だと思います。パウロは敢えて困難な道を選んだわけではないと思いますが、反対に楽(効率的)な伝道方法を選んだわけでありませんでした。そこには、「愚か」と思われるような地味さがあったことが想像できます。伝道にはスマートさ、格好良さは必要ないのです。たとえバカバカしく思えたとしても、結局のところ、地道に聖書のみことば伝えていく以外に伝道の方法はないのです。そして、この地道さを怠る時に一番困るのは、伝道している相手であることも覚えておきましょう。トラクトや小冊子(聖書、福音の要約)などを通して、イエス様を信じるようになる人はたくさんいるでしょう。しかし、その人が聖書のみことば、神様のことばを慕い求めるように導かなければ、その後の成長はありません。聖書のみことばという土台がなければ救いの確信も容易に揺らいでしまうことがあるでしょう。この導きは、地道に聖書のみことばを分かち合いながら伝道することから始まっているのです。
このようなわけで、様々な困難を覚えたとしても、聖書のみことばに聞き、みことばを伝えるという地味で地道な作業を忍耐強く続けて行きましょう。
【祈り】
《1コリント1章》
21事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。
22ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。
23しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、
24しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。
アーメン
ライフチャーチ牧師 大谷 信道