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2013年6月4日(火)
ヘブル人への手紙 10:29-32
29まして、神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものとみなし、恵みの御霊を侮る者は、どんなに重い処罰に値するか、考えてみなさい。30私たちは、「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする」、また、「主がその民をさばかれる」と言われる方を知っています。31生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです。32あなたがたは、光に照らされて後、苦難に会いながら激しい戦いに耐えた初めのころを、思い起こしなさい。
【ポイント】
①順調に思える時の方が危ない
実は、成長の機会は順調な歩みの中よりも、苦難の中に多くあります。多くのストレスにさらされた時の私たちの反応によって自分のキリストのとの関係がはっきりとわかるからです。物事が順調に行っているときは、信仰の有無にかかわらず、だれでも「幸せな感じ」の中にいることができるため、キリストを求める思いが減ってしまうのです。「油断」「すき」が生まれるのです。32節の「苦難に会いながら激しい戦いに耐えた初めのころを、思い起こしなさい」とうことばから、ヘブル書の読者はかつて大きな迫害や苦難にさらされていたときには信仰によって耐え忍ぶことができていたこと、しかし、しかし、その後「集まることを止め」てしまう人達が出る(25節)というような問題が起こっていたことが分かります。
②初めのころを思い出す
ヘブル書の著者の警告は、信仰に不安を覚えさせるほど強いものです。しかし、それは読者を恐怖によって支配するためではありません。ただ、「苦難に会いながら激しい戦いに耐えた初めのころ」思い出して欲しいという強い願から出ている警告なのです。誰も経験したことのないような特別信仰の境地を今すぐ手に入れろと命令しているわけではありません。かつて経験したことのある、恵みの歩みに立ち返ることを促しているのです。
③霊的成長のバロメーターの一つは「継続性」
成長には時間がかかります。そこで大切なことは、大きな変化が見えなくても、同じ事を続けていくことです。仕事、勉強、運動でも結局、地道な努力を続けることが出来る人が大きな成果を手にすることができます。子育においても同じようなことがいえます。不思議なことに子どもは、同じ事を繰り返すことが大好きです。同じ本を何度も何度も読んでもらうことが好きです。単純な手遊びなどでも、同じ遊びを繰り返し楽しみます。しかし、時に親が飽きてしまい、次から次におもちゃを変えてみたり、次から次へ新しい本を与えたり、公園でも、砂場にいたかと思うと、直ぐに滑り台に連れて行ってしまったりと、子どもの集中力、一貫性の芽をつむようなことをしてしまうことがあるのです。同じように、信仰の歩みも、教会の歩みも、実は単純で、簡単なことを飽きずに、忍耐強く行うことが大切なのです。例えば、スモールグループ、セルグループに関わってきた経験からしても、一つのグループが成熟していくためには時間がかかるものなのです。ですから、目先の変化が現れなくても、地味な歩みを続けていくことが最も効果的である場合が多いのです。これは、「惰性」とは全く違います。みことばと聖霊の導きに従う生活を続けていれば、その結果として集まる人の内面が変えられていきますから、会の持ち方が同じでも、そこにある関わりは常に変化し、常に新鮮なものになるのです。
ですから、現代に生きる私たちのチャレンジは極端な迫害の中ではなく、むしろ、平凡な日常の中でどれだけキリストとの関係を深め続けることができるのかというところにあるわけです。
【祈り】
《エペソ4章》
14それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく、
15むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。
アーメン
ライフチャーチ牧師 大谷 信道