デイリーディボーション 5月25日(土)

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デイリーディボーション 5月25日(土)

2013年5月25日(土)

ヘブル人への手紙 10:11-14
11また、すべて祭司は毎日立って礼拝の務めをなし、同じいけにえをくり返しささげますが、それらは決して罪を除き去ることができません。12しかし、キリストは、罪のために一つの永遠のいけにえをささげて後、神の右の座に着き、13それからは、その敵がご自分の足台となるのを待っておられるのです。14キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって、永遠に全うされたのです。

【ポイント】

①「救い・贖い」と「聖化」の違い
このテーマに関しては、これまで何度も取り上げて来ましたが、14節からもヘブル書の著者も「救い・贖い」と「聖化」をはっきりと区別して考えていることが分かります。それは「動詞の時制」から明らかです。残念ながら日本語は文法的に「時制」に関して大変曖昧なところがあるため、ギリシャ語や英語の動詞に込められている意味をはっきりと訳すと、不自然で冗長な日本語になってしまうのです。14節を直訳的かつ、説明的な日本語にしてみるとこのようになります。「キリストは一つのささげ物によって、人々を永遠に完全な者としてくださっていて、それは今も変わることはありません。そして、人々は聖い者へと変えられ続けているのです。」

つまり、ここから分かることは、①キリストの救い・贖いの業は、十字架においてすでに完成されているということ、②そしてその結果として、信じる者は少しずつ聖い者へと変えられ続けていく過程にあるということです。

②私たちが取り組むべき課題は「救い」ではなく「聖化」
イエス・キリストを贖い主として信じている者は、来るべき「裁き」について恐れる必要はありません。つまり、「自分は本当に天国に行けるのか?」とか「これまで犯してしまった罪について罰をうけるのか?」などと心配することはないのです。天国に入るために努力をする必要もありません。神様のあなたに対する「愛」「赦し」についても心配する必要はありません。何も心配せずに神の子としてその愛の中に生きていけばよいのです。

③「聖化」とはキリストの愛に動かされること
しかし、ここに課題があります(しかし、それは天国に行くための義務ではありません)。それは、キリストとの個人的で現実的な愛の関係の中に生きていくことです。そして、この愛によって、動かされていくことです。残念なことに、夫婦関係、親子関係を「義務感」で行なっているひとがあまりにも多くいます。心の奥底では、夫婦関係、親子関係が重荷であったり、できればそこから逃げてしまいたいと考えている人がいます。それをさせないでいるのが「義務感」である場合が多いのです。そのような関係しか知らない人は「愛によって動かされる」ことを知りません。そのような人は「愛」と聞いても、背負わなければならない「重荷」にしか感じないでしょう。

キリストはたくさんの命令を与えられていますが、それは決して義務ではありません。命令を無理強いもしていません。キリストの愛に動かされる者の方向を示されたのです。キリストは言われました「もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。」(ヨハネ14:15)

【祈り】
《1ヨハネ5章》
2私たちが神を愛してその命令を守るなら、そのことによって、私たちが神の子どもたちを愛していることがわかります。
3神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。

アーメン

ライフチャーチ牧師 大谷 信道


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