デイリーディボーション 6月6日(木)

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デイリーディボーション 6月6日(木)

2013年6月6日(木)

ヘブル人への手紙 10:36-39

36あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。37「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。38わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」39私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。

【ポイント】
①信仰と忍耐の関係
聖書が教えている「忍耐」は単なる「我慢」ではありません。つまり、何かが足りないことを耐え忍ぶことではありません。そうではなく、キリストの約束の成就を期待して待ち望むことです。ですから、私たちに求められていることは、約束を信じ続けること、約束してくださった方を信頼し続けることです。エジプトを出発したイスラエルの民のつぶやき、不従順とその結末は私たちにとって超重要なレッスンなのです。神様とモーセを信頼し続けなかった人々は全員荒野で死んで行きました。イスラエルの民に求められていたことは、決して律法の遵守ではなく、神様を信頼し、約束を待ち続けることだったのです。

②信仰は忍耐も伴う「狭い道」であることを忘れてはならない
イエス様は私たちをこのように招かれています。「24それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。25いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。」(マタイ16章)もちろん、イエス様は意地悪でこう話しているのではありません。イエス様の招きは祝福に満ちたものであっても、罪深いものから見ると、決して好ましい道には見えないものであるということです。イエス様はこの道についてこのように教えられました。「13狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。14いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」(マタイ7章)

③現代の教会は「狭い道」を「広い道」のように見せてはいないか?
キリスト救いはすべての人に向けられています。そこには、人種、言語、能力、貧富などによる差別は一切ありません。神様はすべての人が救われる事を望まれています。しかし、自分を人生の王座から引きずりおろし、キリストのにその座を明け渡すときに、誰もが大きな痛みを覚えます。自分の十字架を負うかどうかを問われれば、誰でも大きな不安を覚えるはずです。イエス・キリストを信じるということを、あたかも信じるかどうかのスイッチをオンにするような簡単なこととして教えていることはないでしょうか。「悔い改め」「自分のいのちを捨てること」「日々十字架を背負うこと」ことは、決して未信者の目には魅力的には映らないものなのです。

「とにかく信じて、あとはクリスチャンになってから」というアプローチは、イエス様ご自身は一度たりともなさっていません。きちんと「狭い道」について説明した上で、この狭く見える道こそが永遠のいのちと祝福への道であると教えられていることを決して忘れてはなりません。私たちが信仰の歩みにも困難が伴い、忍耐が求められることをきちんと知らせずに誰かを信仰に導いたとしたら、後で本当に困ってしまうのは、その人であることを覚えておきましょう。「こんなはずじゃなかった!」と思うのは、当人の責任だけなく、「狭い道」、忍耐について教えなかった私たちの責任でもあることを覚えておきましょう。繰り返しになりますが、イエス様は決して「おいしい話」だけで人を招くようなことは決してなさらなかったことを心に留めましょう。

【祈り】
《ローマ5章》
1ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。
2またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。
3そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、
4忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
5この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

アーメン

ライフチャーチ牧師 大谷 信道


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