デイリーディボーション 12月17日(水)

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デイリーディボーション 12月17日(水)

2014年12月17日(水)

【通読】
ガラテヤ 3:6-7
6アブラハムは神を信じ、それが彼の義とみなされました。それと同じことです。7ですから、信仰による人々こそアブラハムの子孫だと知りなさい。

【ポイント】
①キリストへの信仰以外に救いの道はない
イエス様はヨハネ14章6節でこのように宣言されました。「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』」ペテロも使徒の働きの4章12節でこのように告白しています。「12この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」
しかし、中には「イエス・キリストだけ」という部分に排他的なものを感じてしまう人もいるようです。

では、キリストの他に救いへの道はあるのでしょうか。これまでの学びで確かなことは、神様の正しさの基準に合格できる人間は誰一人いないということを確認しました。正直に自分の心の中を見た時に、自分は絶対に天国に行けるという確信をもてる人はいるのでしょうか。いい加減な生き方をしている人は、「自分はどちらかと言えばいい人だから天国に行けると思う。」などという楽観的な見方ができるかもしれません。しかし、ストイックに自分の罪深さを見る人は、聖書のメッセージを知らなくても、自分は到底天国に行けるような人間ではないということに気がつくはずなのです。これは、人間の努力によっては天国へ行く確信を持つことはできないということなのです。

努力や修行によって自分の不完全さを克服することができないとしたら、残る方法は、文字通り「神頼み」です。神頼みといっても、修行、善行、儀式、寄付などの人間的な行いによって救われると教えている「宗教」は、先に述べた理由から、ことばは悪いのですが「インチキ」であることは明らかです。この段階でほとんどの宗教は除外されてしまいます。

さらに、開祖が救いについて明確な教えをしているのかという問題もあります。キリスト教の影響を受けずに、最初から修行、善行、儀式、寄付など人間的な行為以外の方法で救われるという教えをしている宗教がどれほどあるでしょうか。例えば、仏教はブッダ自身が死後(来世)について教えていない段階で除外されてしまいます。神道についていえば、仏教でいうブッダのような開祖おらず、これは仏教も同じなのですが、統一の経典もありません。経典と言われているものもあるようですが、編纂された時代は鎌倉時代のようです。つまり、その成立は大変新しいもので、教えの内容について誰も責任を持っていない宗教なのです。

このように、救いについて本当に信頼できる(歴史的、内容的)情報を得ることは思っているよりも難しいのです。ですから、キリスト教は決して排他的なのではないことは、私たちが厳密に救いについて求め、本当に信頼できる解答を探してればすぐにわかるはずなのです。

【日曜礼拝の中心聖句】
ヨハネの福音書 12章
46わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。47だれかが、わたしの言うことを聞いてそれを守らなくても、わたしはその人をさばきません。わたしは世をさばくために来たのではなく、世を救うために来たからです。

【今週の適用と実践】
・続けて、クリスマスを迎えるにあたり、この世が救いを必要としていることを覚えましょう。
・家族、友人が闇の中で迷い、苦しんでいる姿に痛みを覚えましょう。
・実は、人々が一番必要としているのは「神様の愛」であることを再確認しましょう。
・この世の全ての問題は「神様の愛」によって解決されるという確信、信仰を深めましょう。

【今週の祈り】
「主よ、あなたがこの世を救いたいと思っているその情熱を私も共有することができるように助けて下さい。その愛と情熱のゆえに、罪深く不完全な私たちが救われている喜びを深めるものとしてください。そして、あなたの愛がこの世の様々な問題の完全な解決策であるという確信をさらに深めることができるように助けて下さい。今週もあなたの光の中を歩みます。」

ライフチャーチ牧師 大谷信道


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