デイリーディボーション 4月22日(月)

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デイリーディボーション 4月22日(月)

2013年4月22日(月)

ヘブル人への手紙 6:1
1ですから、私たちは、キリストについての初歩の教えをあとにして、成熟を目ざして進もうではありませんか。死んだ行ないからの回心、神に対する信仰、

【ポイント】
ヘブル書の著者にとって「キリストについての初歩の教え」が何を指しているのかは、1節の後半から2節に続きますので、明日学ぶこととします。その具体的な内容がどのようなものであるにせよ、著者は恵みによて救われ、神の子とされたクリスチャンが「成熟」を目指していくことが大切であると指摘しています。

①ゴールはキリストに似たものとなること
「成熟」の理解については特別な注意が必要であることはこれまで繰り返し学んできました。幼稚な(子どもの)クリスチャンが成熟した(大人の)クリスチャンに成長していく時に大切なことは、成熟したクリスチャンの姿を正しく捉えている必要があります。ゴールを把握していなければ間違った方向に進んでしまうからです。使徒パウロはそのゴールが「キリスト」であることを説明しています。「むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。」(エペソ4:15)

②成熟の場は神の家族である教会の交わり・関わり
ヘブル書の著者も「私たちは・・・進もうではありませんか。」と群れとしての成熟を呼びかけています。子どもが家族との関わりの中で成長していくように、クリスチャンは教会の交わりの中で成長していくということです。「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」(エペソ4:16)

③霊的成長と人間的(人格的)な成長に大きな違いはない。
ヘブル書の著者が「おとな」「幼子」「成熟」ということばを使っている理由は、人間的な成長と霊的な成長に共通点があるからです。むしろ共通点があって当然なのです。なぜならイエス・キリストこそが「霊的」にも「人間的」にも完全な方だったからです。人間的(人格的)な成長から離れた霊的な成長はありません。キリストがそうであったように、霊的に成熟している人は、一般的に「いい人」「性格の良い人」「暖かい人」「優しい人」「落ち着いた人」「寛大な人」「包容力のある人」というような、人間性を伴っているはずなのです。それは、ガラテヤ5章の「御霊の実」からも明らかです。

あなたの成熟の度合いによって神様の愛、恵みが増減することはありません。むしろ、天の父はあなたが霊的に成熟し、神様の愛と平安に包まれて歩んでいくことができるように私たちを養って下さっているのです。そして、成熟には時間が必要です。時間をかけないものに「成熟」、「熟成」ということばは使いません。魂の救いは一瞬で起こります。しかし、キリスト者としての成長には時間がかかります。そこに必要なのは「忍耐強く待つこと」です。神様は、私たちの実がなるのを忍耐強く待ち、楽しみにしておられるのです。

【祈り】
《ガラテヤ5章》
22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
23柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。
24キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。
25もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。

アーメン

ライフチャーチ牧師 大谷 信道


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