デイリーディボーション 4月16日(火)

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デイリーディボーション 4月16日(火)

2013年4月16日(火)

ヘブル人への手紙 5:2-3
2彼は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な迷っている人々を思いやることができるのです。3そしてまた、その弱さのゆえに、民のためだけでなく、自分のためにも、罪のためのささげ物をしなければなりません。

【ポイント】
「彼」とは大祭司を指しています。ヘブル書の著者は「永遠の大祭司」であるイエス・キリストと人間の「大祭司」を比較し、イエス・キリストが人間の大祭司にいかに優っているかを説明しています。ここでは人間の「弱さ」に焦点が当てられています。「弱さ」をもった人間を大祭司として立てられたのは神様ですから、そこには明確な理由があるのです。それは、自分も同じ「弱さ」をもっているがゆえに、人々を思いやる事ができるということです。この点はすべてのクリスチャンに当てはめることができます。1ペテロ2章9節では、すべてのクリスチャンが「祭司」と呼ばれています。「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。」ここに、自分の罪深さ、弱さを知っている人間の祭司の役割があります。自分の弱さを知っているればいるほど、弱い者の気持ちを理解できるのです。学力優秀だった教師よりも、かつて「落ちこぼれ」というレッテルを貼られていたような教師ほど、学力の低い生徒の気持ちや課題をより理解してあげられる傾向があるのに似ています。

しかし、人間の祭司にも限界があります。マタイ15章14節でイエス様はパリサイ人にこのように言いました。「彼ら(パリサイ人)のことは放っておきなさい。彼らは盲人を手引きする盲人です。もし、盲人が盲人を手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むのです。」つまり、罪人はほかの罪人の手助けはできるが、本当の意味でその罪の中から救い出すことはできないという限界を持っているということです。この点がイエス・キリストと決定的に違うところです。イエス様は、人間として地上に来られ、人間と同じように誘惑にさらされながら、一切罪を犯さなかったからゆえに、私たちを罪から救うことができるのです。

どんなに苦しんでいる人、弱い人と毎日あったり、一緒に暮らしたり、経済的に助けたりしたとしても、究極的には私たちはその人を罪の中から救うことができないのです。つまり、どのように素晴らしい慈善行為を行なっていても、その相手があなたの手を握り続けている間は、「盲人が盲人の手を引く」ことであること、つまりその助けには限界があることを知らなければならないのです。どんな自己犠牲をはらっても、その人を助けていることにはならないのです。「溺れる者は藁をも掴む」ということわざがあります。しかし、実際には「藁」には人を浮かすほどの浮力はありません。ですから、溺れた時に藁を掴むことは全く愚かな行為なのです。罪の問題に関しては私たちは「藁」なのです。どんなに願っても、罪に苦しむ人を浮かび上がらせることはできないのです。

しかし、溺れている人に丸太を投げるだけでは、その人を救うことはできません。なぜなら、福音の知識だけを投げ与えても、その人はそれを受け取ることができない可能性があるのです。本当に溺れている人を助けたければ、その人を本当に浮かび上がらせることができる丸太を掴ませなければならないのです。つまり、その人がイエス様の手を握り締めることができるような援助が必要なのです。特に欧米諸国と違い、イエス・キリストが本当の救い主だという認識がない日本では、イエス・キリストという丸太を投げても、それに飛びつく人は少ないのです。ですから、欧米とは違うアプローチが必要であり、より多くの時間をかける必要があるのです。

ここに、人間の祭司であるクリスチャンの役割を見ることができます。家族や友人の苦しみを理解し、思いやることができる「弱さ」のちからを十分に発揮し、相手からの信頼を勝ち取る必要があります。そして、次のステップとして、本当の助け主であるイエス・キリストを紹介するのです。つまり、相手がイエス様との個人的な関係を築くことができるような援助を行なっていくことです。助けを求めている人は、藁にもすがる思いでいますから、目に見えるあなたとの深い関わりに安らぎを求めようとするでしょう。しかし、その思いをイエス様の方に持っていくのが私たちの役割なのです。イエス様だけがその人を本当に助ける方であることを、関わりを通して伝えていくのです。これが、本当の「とりなし」の働きでありなのです。

【祈り】
《イザヤ31章》
1ああ。助けを求めてエジプトに下る者たち。彼らは馬にたより、多数の戦車と、非常に強い騎兵隊とに拠り頼み、イスラエルの聖なる方に目を向けず、主を求めない。
2しかし主は、知恵ある方、わざわいをもたらし、みことばを取り消さない。主は、悪を行なう者の家と、不法を行なう者を助ける者とを攻めたてられる。
3エジプト人は人間であって神ではなく、彼らの馬も、肉であって霊ではない。主が御手を伸ばすと、助ける者はつまずき、助けられる者は倒れて、みな共に滅び果てる。

アーメン

ライフチャーチ牧師 大谷信道

大谷 信道


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