誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。
2013年7月4日(木)
ヘブル人への手紙 12:12-13
12ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。13また、あなたがたの足のためには、まっすぐな道を作りなさい。なえた足が関節をはずさないため、いやむしろ、いやされるためです。
【ポイント】
①聖霊に導かれた主体性を身につける
親子関係で考えましょう。親が子どもに「ご飯の準備を手伝って!」と言ったとします。子どもは「えー、いまテレビ見てるのに!」などと言って嫌がるか、「はーい。」と行動に移すかのどちらかですね。しかし、この「はーい」にも2種類あります。手伝わないと怒られるので仕方ない「はーい↘」と、お母さんが忙しそうだから手伝おうという積極的な「はーい↗」です。親として大切なことは、子どもが主体的に、自分の判断で正しい行動を選び取ることができるように教え、導いていくことではないでしょうか。そうでなければ、親は永遠に子どもに命令をし続けなければなりません。さらに、子どもは怖く命令されなければ、自分が嫌だと感じる事について自分から取り組めない人間になってしまいます。子どもの主体性が育つことによって、親から一つ一つ指示されなくても、自分が何をするべきなのか、家族のために何ができるのかを自分で探して行動するようになっていきます。
この視点から、クリスチャンとして成長の段階を見ることができます。第一段階は、イエス・キリストの弟子として従うことを決意したけれども、そのみことばを無視したり、反感を覚えたりする段階です。イエス様とのロードシップ(主を主として認めること)が確立していないので、場合によっては「信仰」そのものを再度見つめなおす必要があるかもしれません。第二段階は、クリスチャン生活に「喜び」よりも「義務感」、「重荷」を強く感じている段階です。礼拝すること、聖書を読むこと、祈ること、交わること、奉仕すること、訓練を受けること、伝道することのすべて、またはどれかに「義務感」を感じてしまいます。それでも無理して続けていると「自分はこれだけやっているのに・・・。」とか「これだけやっていれば十分でしょ。」などという思いが出てきて、牧師や他の教会員とぶつかってしまうこともあります。第三段階は、みことばと聖霊の導き、命令、戒めに、自分の意思で従っている人です。自分の信仰の成長のために、また、キリストの体である教会の建て上げのために、自分が何をしたら良いのかを常に考え、誰からもお願いされなくても、自分から必要なことを行なっていくことができるようになっていきます。
自分が神の家族の中で、どの成長の段階にいるのか、順調に段階を上がる方向で成長しているのかを考えてみることが大切です。
聖霊、みことばの導きは24時間、365日いつもそこにあります。問題はその導きにどう応答するかなのです。聖霊の導きに対して無視したり、命令されたという「義務感」を覚えながら歩んでいくのか、それとも「使命感」と「喜び」に生きるのかは、主を愛する時に生じる、あなたの「主体性」にかかっているのです。それが「まっすぐな道を作る」ことなのです。
【祈り】
《箴言4章》
24偽りを言う口をあなたから取り除き、曲がったことを言うくちびるをあなたから切り離せ。
25あなたの目は前方を見つめ、あなたのまぶたはあなたの前をまっすぐに見よ。
26あなたの足の道筋に心を配り、あなたのすべての道を堅く定めよ。
27右にも左にもそれてはならない。あなたの足を悪から遠ざけよ。
アーメン
ライフチャーチ牧師 大谷 信道