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2013年6月18日(火)
ヘブル人への手紙 11:20
20信仰によって、イサクは未来のことについて、ヤコブとエサウを祝福しました。
【ポイント】
①「神様の計画」と「人間の意思」
ヘブル書の著者はイサクに関してたった1節しか扱っていません。実際、約束の子であったはずのイサクは、神様の計画とみことばに忠実であるという信仰の重要な要素に関して、他の信仰の人々に劣った点があったことは否めません。双子の息子が生まれる際に神様は妻リベカに「兄が弟に仕える」(創25:23)ということばを与えられました。しかし、イサクは兄エサウの猟の獲物が好きだったという理由でエサウのほうを愛した記録されてます(創25:28)。さらに、エサウは食事と引き換えに「長子の権利」を弟ヤコブに売ってしまいます。それらのことを知っていたはずなのに、イサクは依然として兄エサウに手を置き、祝福し、財産を相続させようとしたのです。
ヤコブという名前は「かかとをつかむ」「奪い取る」という意味でした。確かに、人間の目にはヤコブは賢い方法で祝福を奪い取ったかのようにも見えます。しかし、親から子へ継がれる祝福は個人的な出来事ではなく、神様の全人類の祝福がかかっている計画でもあったことを忘れてはなりません。もし、神様がエサウに祝福を継承させたいと思えば、必ずそのようになるはずなのです。リベカに対する預言も含め、ヤコブを祝福するという神様の御心は、はっきりと示されていましたのです。ただ、残念ながらイサクはそれを理解することができなかったのです。
②「神様の召し」と「人間的な資質」
聖書を見る時に、神様に用いられる者は豊かな人間性を備えているという原則を見ることができます。カインとアベル、エサウとヤコブからもその原則を見出すことができます。ですから、これまで礼拝の中でも学んできた通り、「霊的な成熟」と「人間的な成熟」を切り離して考えてはいけないということが大切なのです。この両方の成熟が備わったときに、ほんとうの意味で信仰的に成熟していると言うことができるのです。
この原則の仕組について調べるときに、多くの人は間違った結論に達します。ある人は、聖霊に満たされれば人間的にも成熟した者に変えられると考えます。またある人は、努力し人間的に成熟すれば神様からの祝福を受けると考えます。またある人は、運命として人間的に成熟することになっている人を神様が用いられると考えます。恐らく、どれも真理の一部分を言い当てていると思います。しかし、どれも間違いを含んでいるのです。
ですから、ヘブル書の「信仰」理解が重要になってきます。11章1節を思い出しましょう。「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」この信仰の歩みを続ければ、その結果として信仰の成熟という実を結ぶのです。実を結ばせる仕組みは「神秘」なのです。私たちが知らなくても良いことなのです。私たちは、神様の計画を信じ、神様の計画に忠実に生き、神様のことばに従順に従って行く結果として、後世の人からは「信仰の人」と呼ばれることになるのです。しかし、私たちは「信仰の人」として人から称賛されるために歩んでいるのではなく、ただ神様の計画が実現することを喜びとして生きていくのです。
【ポイント】
《ローマ8章》
28神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
アーメン
ライフチャーチ牧師 大谷 信道